2016年7月17日日曜日

船尾白幡遺跡の墨書土器検討 帀(アマ)、千(セン)、任(ミブ)、門(カド)

船尾白幡遺跡の検討を再開しますが、かなりの検討を既に行いましたので、残りは墨書土器の体系的検討ということになります。

墨書文字の体系的検討としては、主な文字についてその意味を検討することにします。

船尾白幡遺跡の全墨書土器データを「釈文」でまとめると次のようになります。

船尾白幡遺跡 全墨書土器(480) 釈文一覧

この全墨書土器について、遺構外のために出土位置が不明のものを除いた全部をプロットすると次のようになります。

船尾白幡遺跡 全墨書土器分布

図に書き込んだ○とA・B・C…は分布状況を説明するための補助として書き込んだゾーン区分です。

A、B、Cゾーンは発掘域が限定されていますから、墨書土器分布の様子はよくわかりません。

D、E、F、Gゾーンには墨書土器が多数出土する遺構が含まれています。

なお、2月の検討でD→F→Eの順に開発が進んだことが判っています。

2016.02.26記事「船尾白幡遺跡の竪穴住居と掘立柱建物」参照

墨書文字の検討は出土数の多いものから順に検討することにします。

最初に出土数の多い帀(アマ)、千(セン)、任(ミブ)について検討します。

それらに検討対象を上記表で色分けして示すと次のようになります。

帀(アマ)、千(セン)、任(ミブ)の検討対象

1 帀(アマ)の検討

まず、千葉県墨書土器データベースで使われている「帀」という漢字は便宜的に使っているもので、墨書文字とは全く無関係であることを知っておく必要があります。

実際の墨書文字の例は次のようになります。

帀(アマ)の実際の墨書文字例

現代漢字に無い文字で、天の則天文字由来であるといわれています。

私は、この文字を墨書した人々は雨(アメ、アマ)を意識して、それから雨粒(4つの点)を除いて、晴天を表し、天(アマ)を表現するというローカルなストーリーを持っていたと想像しています。

この文字を現代のテキストで表示するための苦肉の策として、形が似ている全く別の文字帀(そう、めぐる)を借用して表記しているのです。

しかし、これしか情報を伝える方法がないので、このブログでも帀をつかいます。

同時に過去の検討から帀は天照大御神を表現していると考えてきていますので、このブログでは帀(アマ)とルビを振って表現します。

帀(アマ)の分布は次の通りです。

船尾白幡遺跡 墨書文字「帀」(アマ)分布

帀(アマ)は主な墨書土器分布域であるD、E、Fゾーンに分布します。

これは帀(アマ)が集落の主な信仰対象と考えられる天照大御神を象徴しているので、多くの人々が生活改善祈願語として使ったためであると考えます。

特定の生業・職種に関わらず、多くの人々が天照大御神に向けて願い事を祈願したと考えます。



参考 墨書文字「大」「天(則天文字)」の意味(2016.03.13検討)


2 千(セン)の検討

墨書文字「千(セン)」は次のように分布します。

船尾白幡遺跡 墨書文字「千」(セン)分布

分布がEゾーンに偏在していることが大きな特徴となっています。

Eゾーンは9世紀第3四半期に開発されてた場所です。

過去に検討した養蚕や乾漆などの主な産業との関わりがあまりない場所です。

千(セン)と共伴出土する他の墨書文字は少なく、千(セン)の意味をえぐりだすようなことができていません。

ただ、鳴神山遺跡での墨書文字「万」(マンドコロ)検討で、千万(センマンドコロ)が多く出土し、千とは銭であることを突き止めました。

千万(センマンドコロ)とは銭貨に関する財政や訴訟などを扱う拠点であると考えたのでした。

2016.02.01記事「墨書土器文字検討メモ 万(マンドコロ)」参照

船尾白幡遺跡でも「千万」が出土していますから、鳴神山遺跡検討と同じように「千」(セン)=銭、千万=銭マンドコロである可能性があります。

銀行機能(あるいはサラ金、高利貸し機能)という商業機能が9世紀第3四半期(集落発展のピーク期=最後期)の船尾白幡遺跡に生まれたのかどうか、興味が湧きます。

今後鳴神山遺跡も含めて、「千=銭」仮説が本当であるか、検討を深めるつもりです。

3 任(ミブ)の検討

墨書文字「任」(ミブ)の分布は次の通りです。

船尾白幡遺跡 墨書文字「任」(ミブ)分布

任(ミブ)の分布がFゾーンに偏在しています。

これまで「大生部」(オオミブベ)「生部」(ミブベ)とは壬生部(ミブベ)のことで、壬生部は宮城十二門の守衛に当たった門部(かどべ)だと考えてきています。

そして、任とは壬生(みぶ)の「壬」の字に「人偏」を付けて、「壬生」の業務に携わる人を表現していると考えてきています。

2016.03.16記事「船尾白幡遺跡の支配氏族 大生部」参照

そこで、門(カド)の分布を調べてみました。

船尾白幡遺跡 墨書文字「門」(カド)分布

門(カド)はGゾーンに偏在しています。またFゾーンにも分布します。

FゾーンとGゾーンは隣接しますから任(ミブ)と門(カド)は一体的に考えてよさそうです。

おそらく、任(ミブ)という墨書文字を書いて生活改善を祈願したのは壬生部所属の集団で、門(カド)と書いたのはその集団の中でも武装した集団であったと考えます。

武士の萌芽みたいなものかもしれません。

Gゾーンは船尾白幡遺跡を外敵から守る要塞的な要衝位置にあると考えます。

Fゾーンから刀子・鉄鏃が多出することから、壬生部武装集団がF、Gゾーンに存在していたことが裏打ちされます。

2016.03.23記事「船尾白幡遺跡 鉄鏃と刀子」参照

(これまでの鳴神山遺跡の検討から、武装集団の前線には武器は少なく、後方の拠点にあることが判っています。つまりお雇い武士には普段は武器を持たせず、武器は雇い主が保管していて、お雇い武士に逆に襲われることを防いでいたと考えられます。)


なお、これまでの検討から、任(ミブ)とわざわざ所属氏族名を祈願語に使う小集団は、壬生部全体(船尾白幡遺跡全体)の中でも壬生部に対する帰属感を強めたいと願っている小集団であると考えます。

おそらく、新規開発地(船尾白幡遺跡)に外部から参入した集団で、その活躍が評価されて壬生部の要職につけそうな集団だと思います。

本家筋(本流)はわざわざ任(ミブ)を祈願語に使わなかったと想像します。

なお、門(カド)はすべて、漢字構成要素の右側だけ、あるいは左側だけであり、漢字構成要素が二つとも含まれるもの(門)はありません。


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