2016.07.20記事「船尾白幡遺跡 ゾーン別年代別墨書文字推移」で自分が想定していた以上に、墨書文字の詳しい年代的空間的状況を把握できたと感じました。
この有用性の強いデータの咀嚼をより一層進めるために、出土墨書文字表(画像)を全墨書土器分布図に散布してみました。
さらに参考として鉄鏃と刀子の出土数グラフも散布してみました。
船尾白幡遺跡 墨書文字、鉄鏃、刀子 ゾーン別年代別出土状況
この分布図を見ながら、船尾白幡遺跡の墨書土器検討を箇条書きでまとめます。
1 Ⅰ期からⅤ期まで墨書文字が出土するのはDゾーンだけであり、またDゾーンは他のゾーンよりⅡ、Ⅲ期の墨書文字出土数が多くなっています。これからDゾーンが船尾白幡遺跡の中枢拠点であることがわかります。
2 FゾーンはⅡ期からⅤ期まで墨書土器が期毎に倍増していて、発展が最も顕著なゾーンです。Fゾーンの北に広がる台地が生産の現場となっていて、その生産現場に対する拠点であったと想定します。
3 Ⅳ期(9世紀第2四半期)になるとAゾーン、Cゾーン、Eゾーン、Gゾーンで墨書土器が出土します。この年代に開発が一気に進んだことが判ります。
4 Ⅳ期では帀(アマ)が各ゾーンで多数出土し、船尾白幡遺跡全体に関わる共通の祈願語であったことがわかります。帀(アマ)は集落支配勢力の影響下にある人々が使ったと考えらます。Ⅳ期に既成集落支配勢力の影響力(求心力)が最大になったと考えられます。
5 Ⅳ期になるとEゾーンで千(セン)が、Gゾーンで門(カド)が多数出土するようになります。集落の再開発が行われ、そこに外部化から千や門を祈願語として使う集団が入ってきたと考えます。
Eゾーン、GゾーンともにⅤ期になると帀(アマ)が出土しなくなるので、既存の集落支配勢力が弱体化した様子が観察できます。
6 Ⅴ期(9世紀第3四半期)になるとFゾーンで大(オオ)、大万(オオマンドコロ)が多出します。Ⅳ期の代表的文字任(ミブ)が全く出土しなくなり、それと交代したような印象を受けます。つまり任勢力が大・大万勢力に駆逐されたという印象を受けます。
7 中枢拠点のDゾーンでも、大・大万がⅤ期に出土します。同時に帀(アマ)出土数が激減します。これから、Ⅴ期になると集落全体の支配に大・大万勢力が重要な位置を占めていたことが判ります。権力の交代があったのかもしれません。
8 乾漆に関わる墨書文字がAゾーン(Ⅳ期)、Dゾーン(Ⅱ、Ⅴ期)、Fゾーン(Ⅲ期)から出土しました。
9 養蚕に関わる墨書文字がBゾーン(Ⅴ期)、Cゾーン(Ⅳ期)、Dゾーン(Ⅳ期、Ⅴ期)、Fゾーン(Ⅴ期)から出土しました。
10 BゾーンⅤ期から寺が出土し、寺院の存在が推定できます。
11 武器である鉄鏃、刀子と墨書土器分布の関係を観察しましたが、墨書土器出土数と鉄鏃・刀子出土数がほぼ相関し、それ以上の特徴はとらえられませんでした。
しかし、CゾーンⅣ期の刀子出土数6だけが突出していて、その理由は不明です。
Cゾーンの東には宗像神社を祀る古墳時代から続く既存集落があります。ですから、船尾白幡遺跡つまり新開発地と当時の既存集落の間に武力に関わるような緊張関係があったことを示す可能性もあります。
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船尾白幡遺跡の検討をこの記事でとりあえず終了します。
墨書文字「大万」(オオマンドコロ)を千葉県墨書土器データベースで検索したところ、別の複数の遺跡から多数検出されましたので、その検討を次に記事で行います。
墨書文字「大万」を共通に使う勢力の実在が感じられます。
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