2017年6月20日火曜日

大膳野南貝塚後期集落の堅果類自給率は4割程か

大膳野南貝塚後期集落(中期末葉~後期集落)の時期別検討に入る前に、前期集落と後期集落の竪穴住居1軒あたり土坑数の顕著な相違に気が付きました。
この相違は集落活動における前期後期の経済活動の違いを表現していると考えます。
大切な指標を見つけたような気持ちになりましたのでメモしておきます。

1 前期集落と後期集落の竪穴住居と土坑の分布

大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居と土坑

大膳野南貝塚 中期末葉~後期 竪穴住居と土坑

2 竪穴住居1軒あたり土坑数

竪穴住居軒数と土坑数

竪穴住居1軒あたり土坑数

3 考察
貝塚を形成しなかった前期集落では竪穴住居1軒あたり土坑数が7.1に対して、貝塚を形成した後期集落では竪穴住居1軒あたり土坑数が2.8となり、前期に対して後期は4割にまで減少しています。
前期集落の土坑はサンプル調査した14基から全てオニグルミ核が出土していて食料貯蔵庫であったことが判っています。
2017.04.28記事「土坑の出土物」参照

後期集落で竪穴住居1軒あたり土坑数が減少した理由は土坑を利用した食糧貯蔵量(堅果類貯蔵量)を少なくしても済むようになったからだと考えます。
食料貯蔵量を少なくしても困らない理由は海産物と堅果類の取引が日常的に広域で行われたからであると考えます。

前期集落が自給自足していたと考えると、後期集落は海産物を使った交易で必要量の6割ほどの堅果類を入手していたと考えることができます。
主食自給率は4割程だったことが推定できます。

後期集落は貝塚を作ったほどの集落ですから、生業を漁業に特化させ、自分たちが必要とする分以上の収穫を行い、海産物を交易品として出荷していたと考えることができます。

これを逆から見ると、大膳野南貝塚後期集落と交易していた内陸集落では自分達が食う分よりはるかに多い堅果類等を採集し、貯蔵していて、日常的に出荷していたと考えることができます。
このような集落では竪穴住居1軒あたり土坑数が大きな値になっていたと想定します。
秋に採集収穫した堅果類を土坑で貯蔵しておき、冬から夏頃まで出荷供給していたと想像します。

竪穴住居1軒あたり土坑数の時期変化から、集落単位自給自足を必要としない地域の食糧流通経済の存在を見ることができました。

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