2017年6月6日火曜日

西根遺跡 特大加曽利B式土器によるゾーニング 2

2017.06.05記事「西根遺跡 特大加曽利B式土器による土器集中地点ゾーニング」の続きで第4集中地点の考察を行います。

第4集中地点の特大加曽利B式土器の出土状況は次の通りです。

特大加曽利B式土器(最大径45㎝以上)の分布 第4集中地点
画像は発掘調査報告書「印西市西根遺跡」から引用

この特大加曽利B式土器出土小グリッドの位置を獣骨重量分布図にプロットすると次のようになります。

獣骨重量分布図 第4集中地点 特大加曽利B式土器分布プロット

特大加曽利B式土器出土場所と土器集中場所が略一致している様子が観察できます。
特大加曽利B式土器は意識して祭祀中央部に置かれたことが判ります。
なお、第1、第3集中地点では特大土器がある空間を区画するように囲っている様子を感じることができる小グリッド分布を観察できましたが、第4集中地点では5つの小グリッドが隣接してしまっているので第1、第3集中地点よりは狭い空間を囲っていたと想像します。

特大加曽利B式土器出土場所と離れた場所に獣骨重量の値が大きな場所が存在していて、第1集中地点と同じような状況の存在を観察できます。
獣骨出土は獣肉調理肉食祭祀の場を示していますから、その機能と土器「奉納」機能とは空間的に分離しているところもあったことが判ります。

これらの様子を模式的に示すとつぎのようになります。

祭祀造景空間主要部ゾーニングの可能性 第4集中地点の見立て(20167.06.06)

Aゾーンは特大加曽利B式土器を伴う土器密集高ゾーンです。獣骨重量の値が大きな場所も含まれています。土器「奉納」と獣肉食祭祀も行われた祭祀中央部です。祭祀中央部に特大加曽利B式土器が置かれ造景()されていたと考えます。

Cゾーンは特大加曽利B式土器を伴わない獣骨重量の値が大きな場所であり、獣肉調理肉食祭祀の専用空間であったと考えます。また、この付近は土器が密集していないので祭祀アクティビティー(祈祷、踊り、…)の場であったのかもしれません。

Dゾーンは特大加曽利B式土器を伴わない土器密集低ゾーンであり、祭祀空間主要部から離れた周辺の風景を小土器送り場を配置することにより造景(修景)した空間であると考えます。

* 特大加曽利B式土器による造景
特大加曽利B式土器土器を置いて空間を区画し、同時に空間の造景を行ったと考えます。
ただし置かれた特大加曽利B式土器は全て生活使用を終えた品です。完形に近いものもあったと考えられますが、大きく欠けてしまった物や大きな破片に分解している物もあったと思います。
このような本来機能を失った土器が織りなす造景とは送り場の造景であり、現代人のアート感覚を背景にした造景とは全く異なった風景であったと想像します。
しかし、縄文人は機能喪失土器を使って水辺の野外風景を意識して造ったことに間違いはないと考えますので造景という言葉を使います。

想像
機能喪失土器を集中して並べて空間を大規模に造景したということは、「土器送り」をデフォルメして強調して「終滅、滅亡、終焉」を暗示したことであると想像します。
大規模な空間装置を作って「終滅、滅亡、終焉」を体感できるようにしたことの裏腹(代償)として「再生」体感が必ず存在していたと想像します。
この存在したに違いない「再生」体感が幼獣を対象にした獣肉調理肉食にあったと想像します。
イオマンテ風の祭祀を行い、獣魂の「再生」と人集団に幸が多くもたらされる祈願が行われたと想像します。
これらの「終滅、再生」体感活動(祭祀活動)はより大きな目的実現のために行われたと想像します。
その目的とは翡翠入手であったと想像します。
翡翠が入手できれば地域の政治・経済・社会全てが好転します。
翡翠商人がはるばる日本海からやってきた時、壮大な土器送り空間で出迎え、イオマンテ風の祭祀でもてなしたのだと想像します。


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