大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 26
2018.02.15記事「「後世の削平」の影響が強く選択的に働いていることに気が付く」で漆喰貝層無竪穴住居に強選択的に「後世の削平」が働き、出土物が異常に少ない状況が生まれたことに気が付きました。この記事ではその理由を大局的に考えてみました。
1 覆土層一部残存竪穴住居と覆土層無竪穴住居の分布
覆土層一部残存竪穴住居(ブルー)と覆土層無竪穴住居(ベージュ)の分布
2 思考補助図の作成
覆土層一部残存竪穴住居と覆土層無竪穴住居のそれぞれの分布の重なり具合を大局的直観的に把握するための思考補助図としてそれぞれのバッファ図(距離5m)を作ってみました。竪穴住居から5m圏の土地は竪穴住居が受けた影響と同じ影響を受けたと仮想する図です。
思考補助図 覆土層一部残存竪穴住居のバッファ図(距離5m)
思考補助図 覆土層無竪穴住居のバッファ図(距離5m)
思考補助図 覆土層一部残存竪穴住居のバッファ図(距離5m)と覆土層無竪穴住居のバッファ図(距離5m)のオーバーレイ図
3 考察
覆土層無竪穴住居は台地面全域に分布していると捉えることができます。台地面全域が「後世の削平」の影響を受けたといえます。
ただし台地崖(急斜面)には覆土層無竪穴住居はありませんから覆土層をほとんど全て除去あるいは攪乱するという「後世の削平」は台地面だけであったことが判ります。
一方、覆土層一部残存竪穴住居は殆どが3つの貝層及びその近隣に分布しています。
これは耕作等の「後世の削平」が行われた際、貝層の存在が削平活動に対して物理的な抵抗となったためであると考えます。3つの貝層とその周辺には純貝層だけでなく破砕された貝殻と土が混ぜわさった混貝土層が広がり、通常の土より硬かったと想定できます。
覆土層一部残存竪穴住居はこのほか台地崖(急斜面)に分布していて、ここでは地形条件から台地面のような削平活動は無かったようですが、別の条件(斜面浸食等)により竪穴住居の一部が壊されています。
以上の大局的考察をまとめると次のようなります。
1 台地面の全域が「後世の削平」の対象となり、そこに存在した漆喰貝層無竪穴住居はほとんど全て覆土層が失われ、出土物は異常に少なくなった。
2 漆喰貝層有竪穴住居は台地面に存在し「後世の削平」の対象となったにもかかわらず、貝層が被覆していて、それが物理的抵抗力を持っていたため覆土層一部残存竪穴住居となったものが多い。従って出土物が多い竪穴住居が多い。
3 台地崖(急斜面)には漆喰貝層有竪穴住居は存在しないけれども漆喰貝層無竪穴住居は存在する。この地形の竪穴住居は覆土層一部残存竪穴住居となっている。
この考察が正しければ、漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の出土物の統計的比較はかなり無理であると考えざるを得ません。
統計的比較ではなく、漆喰貝層無竪穴住居でもたまたま貝層に覆われたもの(例 J88号住)など断片的個別情報から漆喰貝層無竪穴住居の特性を類推する検討が重要になりそうです。
また、次のような今後の検討課題が浮かび上がりました。
1 「後世の削平」の具体的イメージ
耕作か?、いつごろか? 除去された覆土層はどこに移動したか?
2 縄文時代地形(貝層形成前と後の地形)の復元
発掘調査時点の地形測量結果と1960年代測量図地形がかなり異なります。縄文時代地形(貝層形成前と後の地形)のイメージを正確に復元して、それと竪穴住居分布との関係を精密に考察する必要があります。
3 貝層分布の検討
発掘調査報告書掲載貝層分布図(南貝層、北貝層、西貝層)は一定の基準で貝層分布を描いた1例であり、絶対的なものではないと考えます。もっと広く混貝土層が広がっていたようです。発掘調査報告書の遺構別記述や発掘状況写真等から貝層分布のイメージを検討してみます。
4 混貝土層の意味
貝殻を破砕してそれを土と混ぜて意図的に作った混貝土を竪穴住居覆土層や貝層形成に使ったようです。その意味について考察することが大膳野南貝塚集落の検討に大切です。
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