2018年2月11日日曜日

分析作業メモ 中テン箱数の分布

大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 21

2018.02.10記事「貝塚円環形状と竪穴住居分布の関係」で漆喰貝層有竪穴住居と̪漆喰貝層無竪穴住居でその分布特性が全くことなることを再確認したのですが、その2つの集団(?)の間の関係のイメージが湧いてきません。そこでこれまで検討してきた情報をGISで再度空間分析して何か手がかりがみつかるか作業してみます。
この作業から新しい情報を得て充実感を得られるかどうか全く保障はありません。しかし、特段に急ぐ旅ではないので、とにかく予定調和的展望無しで分析作業を行い、同時にこれまでの検討を整理していきます。

1 竪穴住居別中テン箱数の分布
漆喰貝層有無別に大膳野南貝塚後期集落全期を一括して中テン箱数の分布を立体グラフにしてみました。

漆喰貝層有竪穴住居の中テン箱数 1

漆喰貝層無竪穴住居の中テン箱数 1

漆喰貝層有、無竪穴住居の中テン箱数 1

漆喰貝層有竪穴住居の中テン箱数 2

漆喰貝層無竪穴住居の中テン箱数 2

漆喰貝層有、無竪穴住居の中テン箱数 2

2 考察
考察の前提
中テン箱数は竪穴住居からの出土物総量に比例する指標であり、より具体的には嵩の多い出土土器量に近似する指標として使うことができると考えます。
中テン箱数が多いとは、その竪穴住居が廃絶したとき廃絶祭祀が盛んに行われ、土器をはじめとする遺物が多数竪穴住居に持ち込まれたと考えます。
従って中テン箱数が多い竪穴住居は、その住居に居住していた故人や家族が集落の中で軽んじられることのない社会関係を持っていたと考えます。
逆に中テン箱数が少ない竪穴住居は、その住居に居住していた故人や家族が集落の中で軽んじられる社会関係の中にいたり、あるいは集落終末期に廃絶祭祀をだれからもしてもらえなかった場合であると考えます。

考察
1 南貝層に覆われた漆喰貝層有竪穴住居からの中テン箱数が多くなっています。その傾向は北貝層でも見られますが顕著ではなくなります。西貝層では中テン箱数がとても少なくなっています。
この事実から次の推察をします。
・大膳野南貝塚集落のリーダー家族は南貝層に居住していたこと。
・リーダー家族の廃絶竪穴住居を埋めるように貝層が形成されたこと。
・同時にリーダー家族の廃絶竪穴住居が存在しなくても、円環状貝塚形成の意思が働き北貝層の北部や西貝層が形成されたこと。
・従って北貝層の北側や西貝層の形成には南貝層居住家族が関わった可能性があること。

2 南貝層と北貝層の間に漆喰貝層有竪穴住居が存在するにも関わらず貝層が連続しません。その理由は南貝層と北貝層の間に漆喰貝層無竪穴住居群が存在することによると考えられます。漆喰貝層無竪穴住居で中テン箱数が多い竪穴住居は集落が採貝を行わなくなった終末期のものです。
この事実から次の推察をします。
・漆喰貝層有竪穴住居(漁民)は円環状貝塚形成を指向していたと考えますが、漆喰貝層無竪穴住居の存在を避けています。
・従って漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の経済の差(貧富の差)は大きいものがあると想定してきていますが、それにも関わらず漆喰貝層有竪穴住居は漆喰貝層無竪穴住居に配慮をみせています。
・その配慮の存在から漆喰貝層無竪穴住居の家族が極端な隷属下(奴隷的な立場)にあったと考えることは出来そうにありません。

3 参考

ボロノイ図
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居を色分けしてみました。

ボロノイ図 貝層と地点貝層記入
ボロノイ図そのものは考古事象と全く無関係ですが、このような地図を作ってみると漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の立地が全く別の意思で行われたようだと推察できます。
また、漆喰貝層有竪穴住居が無理をして円環状を形成しているような印象も受けます。

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