2018年8月8日水曜日

六通貝塚の集落継続期間と盛衰

1 六通貝塚の集落継続期間
発掘調査報告書に六通貝塚の集落継続期間がまとめられています。

六通貝塚の集落継続期間 「千葉東南部ニュータウン37-千葉市六通貝塚-」(平成19年3月、独立行政法人都市再生機構・財団法人千葉県教育振興財団)から引用
2000数百年の間途切れることなく集落の痕跡が出土しています。貝塚の本体が大きく、かつ存在する位置が交通結節点となる台地尾根に存在することから周辺集落社会で拠点的な役割があったと想定されています。
なお、六通貝塚の発掘調査では次に示す基準に基づいて土器を年代順に1群から7群まで分けています。

土器分類基準 千葉東南部ニュータウン37-千葉市六通貝塚-」(平成19年3月、独立行政法人都市再生機構・財団法人千葉県教育振興財団)から引用

2 六通貝塚集落の盛衰
群別土器数(掲載土器組成)と群別竪穴住居数のグラフを示すと次のようになります。

掲載土器組成

土器分類別竪穴住居数
貝塚本体の発掘はほとんど行っていないといっても、掲載土器組成は発掘域全体の土器群別組成であることと、そのパターンが竪穴住居数パターンと似ていることから群別組成は遺跡盛衰をある程度表現しているとみて間違いないと考えます。
1群期(加曽利EⅢ式期頃)には既に住居がありこのころ集落が開始しました。
2群期(称名寺式期頃)には拠点的集落が形成されました。
3群期(堀之内式期頃)には土器数が急減し竪穴住居は検出されません。土器数の急減はこの時期に集落がある程度衰退した様子を表現していると考えます。
4群期(加曽利B式期頃)には土器数が急増しますが竪穴住居検出数は1にとどまります。3群期とくらべると集落の勢いが回復したと捉えることができます。
5群期(安行1式期頃)も集落の勢いは保持していたとみることができます。竪穴住居は3軒検出されています。
6群期(安行2式期、前浦式期頃)になると土器数が急増し、竪穴住居検出数7軒となり集落のピークになります。
7群期(晩期後半)になると土器数は急減して、竪穴住居検出数も1軒となり集落凋落を表現しています。

群別掲載土器数はある程度集落盛衰の様子を表現していると考えられるので、その結果を最初に引用した集落継続期間表と画像とした合わせて、集落盛衰を直観的にイメージできるようにしました。

六通貝塚 集落盛衰イメージ 「千葉東南部ニュータウン37-千葉市六通貝塚-」(平成19年3月、独立行政法人都市再生機構・財団法人千葉県教育振興財団)から資料引用して作画

六通貝塚と大膳野南貝塚の集落盛衰の比較を次の記事で行います。

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