2018年10月1日月曜日

地名「千葉」の起源に関わる4説

地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説 その5

梅原猛は「日本冒険(上) 梅原猛著作集7」(小学館、2001)のなかで、地名「千葉」がチパ(アイヌ古語でヌササン(イナウでつくった祭壇)の意味)に由来し、それは縄文時代に遡るという仮説を提示しています。
このシリーズ記事ではこの仮説に興味をおぼえて検討しています。
この記事では梅原猛説を含めてこれまでの地名「千葉」に関わる説を4つに整理して、今後の検討に便利なようにしました。

地名「千葉」の起源に関わる4説

羽衣伝説系統と霊石天降伝説系統の千葉由来は千葉家の歴史を説明するための仮託としての用例です。千葉家の出自が高貴なことや一族の繁栄を念ずる意図から考案されたものと考えられています。
草木葉繁茂説は契沖の説が最初であり、それを引用するかたちで吉田東伍や邨岡良弼に支持されてきています。
原始集団説は武田宗久の説が梅原猛に引き継がれ、「チパ」=ヌササンという具体的明示的な説明となり説得力を増したものになっています。

私は地名「千葉」の起源に関わる説で検討の俎上にあがるのは草木葉繁茂説と原始集団説の2説であり、それは煎じ詰めれば、契冲の説(1690年)と梅原猛の説(2001年)の2人の説になると考えます。
契冲、梅原猛ともに万葉集の応神天皇の歌を引いて千葉の説明をしています。
応神天皇の歌の解釈の仕方によって、地名「千葉」の起源が違ってくるというある意味で論点がかみ合っている論争が1690年の契冲と2001年の梅原猛で行われているのです。

契冲の応神天皇の歌の考証 武田宗久「千葉という名称の由来について」の部分引用
(レ点等の入った縦書文字のWEBでの表現方法がわからないのでしかたなく画像で表現しました。)
契冲の説明は、「応神天皇の歌のチバは千葉でカヅヌは葛野だ。それはカヅラのツタが伸びて葉が茂っている様子を歌っている。下総に地名「千葉」と「葛飾郡」が隣接しているのは同じ意味つまり千葉は葉が茂っている様子、葛飾郡はカヅラの意味だ。」ということになります。一言でいえば千葉とは千の葉っぱ(沢山のカヅラの葉っぱ)ということになります。契冲は最初からチバに漢字「千葉」を当て、その漢字字義どおりに解釈しています。
一方梅原猛は応神天皇の歌を次のように解釈しています。
「日本書紀」の応神天皇の条に、近江(おうみ)に行くとき山城国宇治郡の菟道野(うじの)に立って国見をしたという歌がある。
千葉の葛野(かづの)を見れば百千足(ももちた)る家庭(やには)も見ゆ国の秀(ほ)も見ゆ
この歌の「千葉」とは「チパ」ではないか。葛野は神を祀る場所で、そこにチパがあったのではないか。その下に「百千足る家庭も見ゆ」とあるから、「家庭」というのは家の中で神を祀る場所というのであろう。
また「チハヤフル」は神にかかる枕詞(まくらことば)であるが、これも「チパが古くなっている」、つまり「古い神々がいる」という意味で神にかかるのではないかと考えられる。さらに、氏にかかる枕詞「チハヤビト」、これは武勇の優れた人と従来解されてきたが、やはり「チパヤヒト」つまり「神祭りの霊場に集まる人」という意味で、氏にかかったのではないかと思う。「千葉」をそのように解すると、あの千葉県の「千葉」の意味もよくわかる。「千の葉」という意味では何のことかわからないが、チパのあったところと解すればよくわかる。千葉県は縄文の遺跡の宝庫であり、縄文文化がもっとも発展したところである。」梅原猛著「日本冒険(上) 梅原猛著作集7」(小学館、2001)から引用
私は契冲説より梅原猛の説の方がはるかに確からしさがあると感じます。

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