縄文土器学習 223
松戸市立博物館企画展こどもミュージアムで観覧した関山式土器(幸田[こうで]遺跡)の観察記録3Dモデルを作成しました。
1 関山式片口付深鉢形土器(2) 幸田遺跡 観察記録3Dモデル
関山式片口付深鉢形土器(2) 幸田遺跡 観察記録3Dモデル
関山式片口付深鉢形土器(2) 幸田遺跡 撮影写真例
土器に当たる光が大変弱くまたガラス面越し撮影であることに起因して一部に難が生れています。しかし想定以上に記録性のある3Dモデルが出来ました。学習資料として自分専用で使う分には十分な質が生れました。
関山式土器の考察は次の記事で既に行っています。
2019.05.09記事「関山式土器 神門遺跡及び取掛西貝塚」
2019.07.24記事「関山式土器の分布と貝塚」
関山式の時代は縄文海進で生まれた沿岸域環境を有効利用し始めた縄文前期発展期の最初期であり、おそらく特有のはつらつとした気風、希望に満ちた雰囲気が存在していたに違いありません。そのような気風・雰囲気を背景にして海から食物を得ることと関連して土器に片口が付いたと空想します。いつか、片口がこの時期にだけ流行した理由について検討したいと思います。
2 関山式深鉢形土器(1) 幸田遺跡 観察記録3Dモデル
関山式深鉢形土器(1) 幸田遺跡 観察記録3Dモデル
関山式深鉢形土器(1) 幸田遺跡 撮影写真例
3 参考 鵜ヶ島台式深鉢形土器 登戸Ⅱ遺跡 観察記録3Dモデル
鵜ヶ島台式深鉢形土器 登戸Ⅱ遺跡 観察記録3Dモデル
鵜ヶ島台式深鉢形土器 登戸Ⅱ遺跡 撮影写真例
常設展における展示土器は照明が明るく、かつガラス面がないため難がほとんどない3Dモデルが作成できました。
4 メモ
松戸市立博物館で3Dモデル作成用写真を撮影した土器は順次3Dモデルを作成し、サイト「縄文土器3Dモデル素材集」に掲載します。
2019年8月6日火曜日
2019年7月21日日曜日
子母口式土器、野島式土器、鵜ヶ島台式土器の分布
縄文土器学習 203
縄文土器形式別出土遺跡分布図を作成しています。この記事から縄文早期後葉の条痕文土器の分布図を作成します。
条痕文土器の時代が縄文海進ピーク期であり、東京湾もようやく海となり東京湾岸にはじめて貝塚が生れる画期となる時代です。
この記事では子母口式土器、野島式土器、鵜ヶ島台式土器の検討を行います。
なお、鵜ヶ島台式土器の表記についてこれまでの記事で「鵜カ島台式」を使っていました。しかしこの表記は図書「千葉県の歴史」シリーズでのみ使われている特殊な表記です。そこで千葉県教育庁文化財課にアドバイスをもとめたところその結果をいただきましたので、それを参考にこのブログでは「鵜ヶ島台式」を使うことにしました。
2019.07.11記事「日本石器時代人民遺物発見地名表」参照
1 千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図
千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図
千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図
メインの遺跡集中域は千葉県北東部にありますが、分布の様相はバラけています。
この時期は縄文海進ピーク期に重なっていて東京湾に広く海面が分布し、それを縄文人が利用し出した時期であると考えます。
子母口式の名称がうまれた子母口貝塚は川崎市高津区に位置します。
子母口貝塚と千葉県子母口式土器分布
この時期には土器波状口縁が広く行われていたようです。
2 千葉県 野島式土器出土遺跡分布図
千葉県 野島式土器出土遺跡分布図
千葉県 野島式土器出土遺跡分布図
分布が県内にバラけている様子が観察できます。北東部の海(香取の海、九十九里の海)だけでなく東京湾の海が有望な空間として生まれ、そちらの方に遺跡重心が移りつつある状況がこの時期であると考えます。
炉穴で有名な船橋市飛ノ台貝塚は貝層から野島式土器と鵜ヶ島台式土器が出土します。
土器口縁部の波状がより明瞭なものになっています。
3 千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図
千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図
千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図
野島式土器と同じく遺跡密集域が千葉県全体にばらけます。香取の海、九十九里の海、東京湾の海が生活に利用されたと考えます。
4 参考 条痕文期の貝塚、貝塚を伴わない遺跡
条痕文期の貝塚、貝塚を伴わない遺跡
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」から引用
印旛沼沿岸や東京湾沿岸では貝塚と貝塚を伴わない遺跡が近接していわばセットで存在しています。
5 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数
千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数
縄文土器形式別出土遺跡分布図を作成しています。この記事から縄文早期後葉の条痕文土器の分布図を作成します。
条痕文土器の時代が縄文海進ピーク期であり、東京湾もようやく海となり東京湾岸にはじめて貝塚が生れる画期となる時代です。
この記事では子母口式土器、野島式土器、鵜ヶ島台式土器の検討を行います。
なお、鵜ヶ島台式土器の表記についてこれまでの記事で「鵜カ島台式」を使っていました。しかしこの表記は図書「千葉県の歴史」シリーズでのみ使われている特殊な表記です。そこで千葉県教育庁文化財課にアドバイスをもとめたところその結果をいただきましたので、それを参考にこのブログでは「鵜ヶ島台式」を使うことにしました。
2019.07.11記事「日本石器時代人民遺物発見地名表」参照
1 千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図
千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図
千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図
メインの遺跡集中域は千葉県北東部にありますが、分布の様相はバラけています。
この時期は縄文海進ピーク期に重なっていて東京湾に広く海面が分布し、それを縄文人が利用し出した時期であると考えます。
子母口式の名称がうまれた子母口貝塚は川崎市高津区に位置します。
子母口貝塚と千葉県子母口式土器分布
この時期には土器波状口縁が広く行われていたようです。
2 千葉県 野島式土器出土遺跡分布図
千葉県 野島式土器出土遺跡分布図
千葉県 野島式土器出土遺跡分布図
分布が県内にバラけている様子が観察できます。北東部の海(香取の海、九十九里の海)だけでなく東京湾の海が有望な空間として生まれ、そちらの方に遺跡重心が移りつつある状況がこの時期であると考えます。
炉穴で有名な船橋市飛ノ台貝塚は貝層から野島式土器と鵜ヶ島台式土器が出土します。
土器口縁部の波状がより明瞭なものになっています。
3 千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図
千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図
千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図
野島式土器と同じく遺跡密集域が千葉県全体にばらけます。香取の海、九十九里の海、東京湾の海が生活に利用されたと考えます。
4 参考 条痕文期の貝塚、貝塚を伴わない遺跡
条痕文期の貝塚、貝塚を伴わない遺跡
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」から引用
印旛沼沿岸や東京湾沿岸では貝塚と貝塚を伴わない遺跡が近接していわばセットで存在しています。
ところが大須賀川流域や九十九里では貝塚を伴わない遺跡だけが集中して存在する場所があり、それは狩本村と貝塚出村という空間的に離れたセットが存在していて、貝塚は地象(波蝕台形成による破壊と沖積層堆積による埋没)でほとんどが消失したと考えました。
つまり縄文海進前期(早期撚糸文、早期沈線文を想定)には海が遠いので、その利用は狩本村とは別に出村形式で貝塚(漁労)を作るしかなかったのですが、縄文海進後期(早期条痕文を想定)には急激に海が広がり、狩をする生活圏に海が到来し、漁労の場(貝塚)を特段出村にする必要がなくなったと考えます。
千葉県北東部や九十九里沿いの縄文社会と印旛沼や東京湾沿いの縄文社会では構造が違っていたのではないかと想像(仮説)します。
印旛沼や東京湾岸沿いでは「気が付くと海がそこに来ていた」という状況があったと想像します。
千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数
2019年7月11日木曜日
日本石器時代人民遺物発見地名表
縄文土器学習 182
2019.07.01記事「縄文早期条痕文系土器形式「鵜カ島台式」の表記」の続編記事です。
縄文土器形式名称「鵜カ島台式」の表記をどのようにしたらよいかわからないので、思い切って千葉県にアドバイスをもとめたところその回答をえることができました。
御多忙中にもかかわらず当方の些細な質問に誠意ある回答をしていただき文化財課および公文書館に感謝申し上げます。
1 鵜カ島台式の表記に関するアドバイス
神奈川県の地名で使われている鵜ヶ島台式を使うのがよいのではないかというアドバイスをいただきました。「千葉県の歴史」であれだけ強固に統一して使った鵜カ島台式の表記はその大冊シリーズ図書専用の表記だったようです。
公文書館の方のお話では鵜カ島台式と書いて「カ」を「ga」と読ませる表記は国語的に存在しないとのことです。
鵜ヶ島台式の表記が世の中の縄文土器記述で一番多く使われているようなので、またそれを推奨していただいたので、今後このブログでは鵜ヶ島台式を使うことにします。
なお、鵜ヶ島台表記が地名として存在している様子はWEB検索の範囲内では確認できませんでした。(鵜ヶ島台遺跡という表現は沢山ヒットします。)
2 「千葉県の歴史」で鵜カ島台式が使われた理由
時間が経ったため図書編集時の関係者と連絡がとれなく、鵜カ島台式表記が使われた図書編集時の理由は不明であるとのことでした。
ただ、帝国大学編「日本石器時代人民遺物発見地名表」(明治31年)に鵜カ島台の地名表記があることを文化財課で調べていただきました。
帝国大学編「日本石器時代人民遺物発見地名表」(明治31年) 国会図書館デジタルコレクションのページ引用
帝国大学編「日本石器時代人民遺物発見地名表」(明治31年)に出てくる鵜カ島臺
この明治年間資料が鵜カ島台土器関連の初出名称という理由で「千葉県の歴史」で鵜カ島台式表記が使われた可能性はあります。
3 感想
帝国大学編「日本石器時代人民遺物発見地名表」(明治31年)が初出であることから(あるいはまったく別の理由から)、世の中一般で使われている鵜ヶ島台式等を退けて鵜カ島台式を採用した縄文土器担当図書編集委員は本来のあるべき縄文土器形式命名法を当てはめた可能性が濃厚です。それで各執筆者を指導したことになります。心意気は千葉県レベルではなく、全国レベルであったと考えます。全国レベルで考えるべき命名法を千葉県で独自に実践しているのです。それが良いか悪いか別にして、部外者から見ると考古世界というところでは交通整理する機能が弱いという印象を受けます。学術用語不統一でも我慢する忍耐強い学術世界であるということです。
駐車場の交通整理員がいなくては「俺が俺が」ということで駐車場が混乱して渋滞していしまいます。交通整理員がいれば交通混乱は最小限となります。そして交通整理員は社会的権力者ではありません。皆がマナーとして交通整理員の指示に従っているだけです。
2019.07.01記事「縄文早期条痕文系土器形式「鵜カ島台式」の表記」の続編記事です。
縄文土器形式名称「鵜カ島台式」の表記をどのようにしたらよいかわからないので、思い切って千葉県にアドバイスをもとめたところその回答をえることができました。
御多忙中にもかかわらず当方の些細な質問に誠意ある回答をしていただき文化財課および公文書館に感謝申し上げます。
1 鵜カ島台式の表記に関するアドバイス
神奈川県の地名で使われている鵜ヶ島台式を使うのがよいのではないかというアドバイスをいただきました。「千葉県の歴史」であれだけ強固に統一して使った鵜カ島台式の表記はその大冊シリーズ図書専用の表記だったようです。
公文書館の方のお話では鵜カ島台式と書いて「カ」を「ga」と読ませる表記は国語的に存在しないとのことです。
鵜ヶ島台式の表記が世の中の縄文土器記述で一番多く使われているようなので、またそれを推奨していただいたので、今後このブログでは鵜ヶ島台式を使うことにします。
なお、鵜ヶ島台表記が地名として存在している様子はWEB検索の範囲内では確認できませんでした。(鵜ヶ島台遺跡という表現は沢山ヒットします。)
2 「千葉県の歴史」で鵜カ島台式が使われた理由
時間が経ったため図書編集時の関係者と連絡がとれなく、鵜カ島台式表記が使われた図書編集時の理由は不明であるとのことでした。
ただ、帝国大学編「日本石器時代人民遺物発見地名表」(明治31年)に鵜カ島台の地名表記があることを文化財課で調べていただきました。
帝国大学編「日本石器時代人民遺物発見地名表」(明治31年) 国会図書館デジタルコレクションのページ引用
帝国大学編「日本石器時代人民遺物発見地名表」(明治31年)に出てくる鵜カ島臺
この明治年間資料が鵜カ島台土器関連の初出名称という理由で「千葉県の歴史」で鵜カ島台式表記が使われた可能性はあります。
3 感想
帝国大学編「日本石器時代人民遺物発見地名表」(明治31年)が初出であることから(あるいはまったく別の理由から)、世の中一般で使われている鵜ヶ島台式等を退けて鵜カ島台式を採用した縄文土器担当図書編集委員は本来のあるべき縄文土器形式命名法を当てはめた可能性が濃厚です。それで各執筆者を指導したことになります。心意気は千葉県レベルではなく、全国レベルであったと考えます。全国レベルで考えるべき命名法を千葉県で独自に実践しているのです。それが良いか悪いか別にして、部外者から見ると考古世界というところでは交通整理する機能が弱いという印象を受けます。学術用語不統一でも我慢する忍耐強い学術世界であるということです。
駐車場の交通整理員がいなくては「俺が俺が」ということで駐車場が混乱して渋滞していしまいます。交通整理員がいれば交通混乱は最小限となります。そして交通整理員は社会的権力者ではありません。皆がマナーとして交通整理員の指示に従っているだけです。
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