2019年7月21日日曜日

子母口式土器、野島式土器、鵜ヶ島台式土器の分布

縄文土器学習 203

縄文土器形式別出土遺跡分布図を作成しています。この記事から縄文早期後葉の条痕文土器の分布図を作成します。
条痕文土器の時代が縄文海進ピーク期であり、東京湾もようやく海となり東京湾岸にはじめて貝塚が生れる画期となる時代です。
この記事では子母口式土器、野島式土器、鵜ヶ島台式土器の検討を行います。

なお、鵜ヶ島台式土器の表記についてこれまでの記事で「鵜カ島台式」を使っていました。しかしこの表記は図書「千葉県の歴史」シリーズでのみ使われている特殊な表記です。そこで千葉県教育庁文化財課にアドバイスをもとめたところその結果をいただきましたので、それを参考にこのブログでは「鵜ヶ島台式」を使うことにしました。
2019.07.11記事「日本石器時代人民遺物発見地名表」参照

1 千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図

千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図

千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図
メインの遺跡集中域は千葉県北東部にありますが、分布の様相はバラけています。
この時期は縄文海進ピーク期に重なっていて東京湾に広く海面が分布し、それを縄文人が利用し出した時期であると考えます。
子母口式の名称がうまれた子母口貝塚は川崎市高津区に位置します。

子母口貝塚と千葉県子母口式土器分布
この時期には土器波状口縁が広く行われていたようです。

2 千葉県 野島式土器出土遺跡分布図

千葉県 野島式土器出土遺跡分布図

千葉県 野島式土器出土遺跡分布図
分布が県内にバラけている様子が観察できます。北東部の海(香取の海、九十九里の海)だけでなく東京湾の海が有望な空間として生まれ、そちらの方に遺跡重心が移りつつある状況がこの時期であると考えます。
炉穴で有名な船橋市飛ノ台貝塚は貝層から野島式土器と鵜ヶ島台式土器が出土します。
土器口縁部の波状がより明瞭なものになっています。

3 千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図

千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図

千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図
野島式土器と同じく遺跡密集域が千葉県全体にばらけます。香取の海、九十九里の海、東京湾の海が生活に利用されたと考えます。

4 参考 条痕文期の貝塚、貝塚を伴わない遺跡

条痕文期の貝塚、貝塚を伴わない遺跡
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」から引用
印旛沼沿岸や東京湾沿岸では貝塚と貝塚を伴わない遺跡が近接していわばセットで存在しています。
ところが大須賀川流域や九十九里では貝塚を伴わない遺跡だけが集中して存在する場所があり、それは狩本村と貝塚出村という空間的に離れたセットが存在していて、貝塚は地象(波蝕台形成による破壊と沖積層堆積による埋没)でほとんどが消失したと考えました。
つまり縄文海進前期(早期撚糸文、早期沈線文を想定)には海が遠いので、その利用は狩本村とは別に出村形式で貝塚(漁労)を作るしかなかったのですが、縄文海進後期(早期条痕文を想定)には急激に海が広がり、狩をする生活圏に海が到来し、漁労の場(貝塚)を特段出村にする必要がなくなったと考えます。

千葉県北東部や九十九里沿いの縄文社会と印旛沼や東京湾沿いの縄文社会では構造が違っていたのではないかと想像(仮説)します。

印旛沼や東京湾岸沿いでは「気が付くと海がそこに来ていた」という状況があったと想像します。

5 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

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