2011年11月20日日曜日

地理的位置仮説

花見川河川争奪を知る46 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説21
成因仮説4

いよいよ真打登場です。 11月16日に思い浮かんだ、まだ孵化直後のアイディアですが、自分としてはクリーンヒットになりそうだと予感しています。(単なる外野フライに終わったらごめんなさいです。)
最初に原理的説明をします。次いで、室内の手作業を順次しながら思考を重ね、説明的記事を書き、その後野外調査をどうするか考えるつもりです。

*     *     *

花見川河川争奪成因
地理的位置仮説の原理的説明

前提
千葉第Ⅱ段丘(立川面)が谷底であった、V字谷が形成されていた時代、そのV字谷の河川縦断における発達は、下流から上流に向かって下方侵食(下刻)が波及していたと考えます。
その時代(立川面が形成された最終氷期)に、二つの河川があり、その流量(流域面積)や縦断勾配等が同じで下流で合流している場合、谷形状は次のようにモデル的にとらえることができると考えます。
谷形状分布モデル

印旛沼水系の谷形状分布モデル
このような考えを印旛沼水系に単純に適用して谷の形状が次のように分布する思考のためのモデルを作りました。
印旛沼水系の谷形状分布モデル

古柏井川ア地点と高津川イ地点、勝田川ウ地点の谷形状が下流のある地点(例高津川と勝田川合流点)から同じ距離aにあり、そのため最終氷期の侵食基準面低下の影響を同等に受け、谷形状が同じであると考えるモデルです。
また、ア、イ、ウ地点よりエ、オ地点の方が上流域に位置しますから、エ、オ地点はそれだけ谷形状が未発達になります。

このモデルはあまりにも現実の諸条件を抽象しすぎていますから、できるだけ現実の状況を説明できるように精緻化する必要があることは言うまでもありません。
しかし、原理を説明するためのモデルとして、地形分布を最単純化しました。

河川争奪の原理
この時代には東京湾側水系の方が印旛沼水系より侵食基準面に近いため、東京湾側水系の方がより下刻作用が盛んだった思います。
その下刻作用の前線が北上する様子をモデル図に書き込みました。
谷形状分布モデルと東京湾側水系下刻作用前線

この時、古柏井川のア地点と高津川エ地点、勝田川オ地点は東京湾側水系下刻作用前線の影響をある時点で一斉に受けます。
その時の南北方向の縦断面図を描くと次のようになります。
ア地点付近縦断面図
エ、オ地点付近縦断面図

東京湾側水系の盛んな下刻作用に対して、ア地点とエ、オ地点で生起する事象は次のように分かれます。
東京湾側水系の下刻作用で生起するア地点付近の事象
河川争奪発生

東京湾側水系の下刻作用で生起するにエ、オ地点付近の事象
河川争奪未発生

古柏井川ア地点では河川争奪が生じますが、高津川エ地点、勝田川オ地点では河川争奪は生じません。

以上の説明が、古柏井川が花見川によって河川争奪された原理です。
同時に古柏井川以外で規模の大きな河川争奪が発生しない原理でもあります。

なお、小さな河川争奪及び予兆現象は東隣地域(勝田川流域)に数か所以上あります。

2011年11月19日土曜日

埋没谷洗い出し仮説

花見川河川争奪を知る45 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説20
成因仮説3

以前の記事(「花見川河川争奪の成因検討2 oryzasan氏の説と感想4」)で次の感想を書きました。

「三谷豊・下総台地研究グループ(1996):下総台地北西部における後期更新世の地殻変動、地団研専報45」で次のような記述があることを思い出しました。
「木下層は、下末吉海進期の堆積物(菊池、1974)であり、上岩橋層を不整合におおって本地域のほぼ全域に分布する。基底面は一般に平坦であるが、しばしば深さ10mを越す埋積谷を基底に伴う」
もし、上岩橋層を削る深さ10m以上の埋没谷があり、その谷を埋める木下層の層相が泥層であれば、そのような場所が水蝕にさらされたとき、埋没谷が無い場所と比べて浸食が激しいという現象がおこるのではないかと想像しました。
自分としては花見川河川争奪の成因検討対象の一つになるのではないかと思いました。

これが私の埋没谷洗い出し仮説です。現場での裏付けはありません。一方的な希望的空想です。

このような考えを断層仮説に次いで考えた理由は、記事「花見川河川争奪 成因検討前の予感」で書いたように、「極端な浸食力増大をもたらした要因」=「花見川河川争奪の成因」という直感に基づくからです。
この記事では次のように書きました。

花見川近隣の河川も強い浸食力を示す谷地形を示しています。しかし河川争奪に至っていません。
花見川は近隣河川の強い浸食力とは比べものにならない極端に強い浸食力をもって争奪対象河川を一気に浸食しているように、私の感情レベルでは感じます。
したがって、近隣河川が持つことができない、特殊的に極端な浸食力増大が花見川にもたらされたと考えます。
その特殊的に極端な浸食力増大をもたらした要因を見つけることができれば、それが即ち、花見川河川争奪の成因であると考えます。

断層仮説も、埋没谷洗い出し仮説も「極端な浸食力増大をもたらした要因」を地質(の水蝕に対する脆弱性)に求めました。

断層仮説と埋没谷洗い出し仮説のイメージを図解すると次のようになります。


さて、現在の私の本命第3仮説である地理的位置仮説を同じ図解で示すと次のようになります。


「極端な浸食力増大」は特段必要がなく、すでに出来上がったV字谷をいわばそのまま頂戴してしまい、「なんなく」争奪できてしまったという発想の仮説です。

地質ではなく地形の地理的位置(関係)に河川争奪の主因を求めました。

詳しい説明を次の記事からはじめます。

2011年11月18日金曜日

断層仮説

花見川河川争奪を知る44 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説19
成因仮説2

巨智部忠承の断層論文や千葉図幅地質説明書(ともにこのブログのページ「断層論文」に掲載)で述べられている「印旛沼堀割線路中の活断層」が事実ならば、それに起因して河川争奪が発生したのではないかと考えました。

つまり、断層に起因する陥没や軟弱な破砕帯の発生により、近隣河川と比べて、古柏井川が東京湾側水系の浸食を受けやすい状況が発生したという考えです。

そこで、明治時代の、活断層かもしれないというこの情報について、専門家に評価していただき、それに基づいて断層仮説を構築しようと考えていました。

幾つかの経緯を経て、WEBで産業技術総合研究所に地質標本館地質相談所があり、地域の地質に関する質問ができることを知りました。
早速、巨智部忠承の「印旛沼堀割線路中の活断層」説についてその真偽を問い合わせてみました。

その問い合わせに対して、産業技術総合研究所活断層・地震研究センターの担当官より次の回答をいただきましたので紹介します。

「お問い合わせの件ですが,ご指摘の千葉市花見川沿いの断層につきましては,おそらくそれ以降に本格的な調査はなされていないと思われます.
また,この報告を引用あるいは検討した論文も確認しておりません.
そもそも,巨智部忠承の報告を見ましても,安政地震時における亀裂や地層の傾斜などから断層の存在を推定したもので,現在の学術レベルでは必ずしも断層を推定するに足る十分な根拠ではありません.
また,この地域に広く分布する段丘面には,花見川を挟んで高さの違いは認められませんので,少なくとも活断層であるとは考えにくいと思われます.
巨智部氏の論文にもありますように,花見川の谷に沿っては非常に軟弱な地層が堆積しており,そのために3月の地震の際にも地表に亀裂等が現れたということは十分に考えられます.」

産業技術総合研究所には丁寧な回答をしていただきお礼申し上げます。

活断層の存在そのものは、この論文をもって推定できないという専門家の評価を受け止めたいと思います。

忘れ去られていた明治時代の地質論文をきっかけにして、河川争奪成因の断層仮説を構築できないだろうかというロマンは、とりあえず矛を収めざるを得ないようです。

*    *    *

河川争奪成因としての巨智部忠承活断層説は一旦捨てたいと思います。
吉田東伍著「大日本地名辞書 坂東」を通して初めて巨智部忠承の断層説を知ったことや、「全部日本人の手になる」と強調される明治時代中期の地質調査成果を現物で検討したことは、私の知的体験としてとても有意義であったと感じています。
吉田東伍著「大日本地名辞書 坂東」(明治40年、冨山房)(影印復刻版)の「柏井」の項

2011年11月17日木曜日

花見川河川争奪の3つの成因仮説

花見川河川争奪を知る43 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説18
成因仮説1

これまで花見川河川争奪の成因について白鳥氏の説について検討させていただき、ついでoryzasan氏の考えについて検討させていただきました。
oryzasan氏からは3回にわたってコメントをいただき、成因検討以前の問題として河川争奪の事実そのものについての議論を行いました。
その中で私は多くの仮定を前提とはしていますが、堀割普請前の地形復元を試み、古柏井川(河川争奪によって生じた空川)の存在を浮き彫りにしました。
地質学的証拠の裏打ちはまだありませんが、地形等の情報により、概念的・原理的には古柏井川の存在(つまり河川争奪現象生起という事実)は間違いないところまできたと思います。

古柏井川の実態をさらに詳しく調査し、地質学的証拠を集めることは今後引き続き追究することとします。

さて、当初のテーマである河川争奪現象の成因に戻り、私の考えを述べます。
私の思考の実況中継みたいになりますが、お許しください。

これまで、河川争奪の成因として断層仮説と埋没谷洗い出し仮説の2つを考えてきています。
2つの仮説とも私にとっては魅力的であり、断層仮説については巨智部忠承の論文を見つけ、「たとえ断層が実証的に把握できなくても、この論文を契機に地殻変動について学習を深めたい」というような感情が強くあります。

2つの仮説は、それで説明できる真の証拠は特段ありませんので、このブログでは、結局「成因検討は今後の課題です。」と締めくくるしかないのかと、密かに考えていました。

ところが、昨日(2011.11.16)になって、花島付近の河岸段丘について考えているときに、突然ひらめきがあり、自分レベルでは河川争奪の成因を論理的に説明できる仮説を得ました。

花見川にだけ規模の大きな河川争奪が発生した理由を説明することができそうです。

この3番目の仮説を地理的位置仮説と名付けます。


以下3つの仮説について検討します。
(つづく)

2011年11月16日水曜日

成田山参詣記

成田山参詣記に収録されている絵図「印旛沼鑿開趾(いんばぬまほりわりあと)」を紹介します。

河川争奪に直接関係するものではありませんが、地形がある程度写実的に表現されているので取り上げました。
成田山参詣記は成田山名所図会ともいわれ、江戸時代末期に成田山の寺侍の中路定俊、定得父子によってまとめられたものとされています。このなかに「印旛沼鑿開趾(いんばぬまほりわりあと)」の絵図2葉が収録されていて、つなげるとパノラマ絵図になります。
パノラマ絵図「印旛沼鑿開趾(いんばぬまほりわりあと)」
現代語訳成田山参詣記(大本山成田山新勝寺成田山仏教研究所発行、平成10年)より引用

このパノラマ絵図で眺望している概略範囲を地形分類図に示してみました。
パノラマ絵図「印旛沼鑿開趾」の視点場と眺望範囲

この眺望範囲の地形分類と絵図を比べると、絵図には西岸台地とその上の盛土地形が、描かれています。また、勝田川の河岸段丘と考えられる平坦面のスカイラインが意識されて(他の地形線と区分されて)描かれているように推察できます。
次にその推察を絵図に書き込んでみました。

パノラマ絵図「印旛沼鑿開趾」における地形表現

この絵図から、地形以外に次のような興味深い情報を得ることができます。
ア 弁天社の様子
イ 弁天池を渡る土橋の様子
ウ 解説文にある埋木の件
解説文には、天明普請の際に高台では巨木が出土することも多く、そのうちよさそうなものは碁盤にして、惣深新田(現印西市草深)の某家にあり、材質は欅のようであるという趣旨のことが書いてあります。

追記 2011.12.10 記事の一部を訂正しました。

2011年11月15日火曜日

河岸段丘のでき方

花見川河川争奪を知る42 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説17
oryzasan氏コメントに対する感想2

4 河岸段丘のでき方について
ア 堆積物確認の大切さ
堆積物確認なくして河岸段丘と軽やかに呼ぶことはできないとのoryzasan氏のご指摘は、その通りだと思います。
少なくとも堆積物確認の最大限の努力は必要だと思います。
このブログの現段階は、堆積物確認など地質学的証拠を集めるための予備調査・予察調査段階であると認識していただければ幸いです。

イ 河岸段丘のできかた
河岸段丘のでき方には、oryzasan氏のおっしゃったもの以外に、主として浸食によるものもあると思います。
その場合、段丘堆積物は薄かったり、欠落したりすると思います。
河川争奪の成因を考える際に、河岸段丘について花見川と近傍河川(高津川の各支川、勝田川の各支川等)の比較が必須になります。
そういう意味で、この地域における河岸段丘のでき方について基礎から学習したいと思います。
なお、私は根拠をあまり持たずに、下横戸や柏井・花島に存在するほとんどすべての河岸段丘が浸食段丘であり、堆積物は薄いか欠落していると思っていました。
oryzasan氏の、河岸段丘が氾濫原堆積物から構成されているという真逆のイメージに戸惑うとともに、自分の盲点を指摘されたような気づきが生まれました。
柏井付近はいうならば盆地であり、堆積物が多いのかもしれない。ひょっとすると湖成堆積物があるのかもしれない。そんなイメージが脳裏を横切っています。

ウ 氾濫原の幅の不自然さについて
oryzasan氏は柏井付近の川幅が北に向かって急変する不自然さをご指摘になりました。
「上流は狭く、下流は広い」は一般論ではそうですが、現実には、川幅は近傍河川をみて確認できるように、意外と変化します。
普請の盛土を剥げば、川幅や段丘面の「急変」は、印象的には緩和されると思います。
しかし、下流(北)に向かって川幅(特に谷底幅)が狭くなるのは“重要な”事実だと思います。
重要性の理由は、古柏井川は先行谷となっており、川幅減少区間が地殻上昇域を示す指標であるからです。
浸食のエネルギーを下刻に使い側刻には使えなかったため、川幅が狭まっているためだと思います。
隣の芦太川でも、旧版地形図や米軍空中写真から、類似の現象が観察できます。
芦太川の姿

エ 花島付近の平坦面について
花島付近の平坦面も古柏井川のかつての谷底であると想定しています。
浸食面であり、堆積物は薄いという先入観念をもっていますが、oryzasan氏のコメントを読んで、本当はどうだろうかと新鮮な興味が湧いています。
現場で地質学的証拠を確認できる方法があるのか、今後検討したいと思います。
なお、米軍撮影空中写真実体視では花島観音の乗る地形が「島」であるように認識できます。
軽率ですが、これまでそのように理解していませんでした。
また、ある文献では、島と台地の間を江戸時代に埋立したとの記録もあるようです。
この「島」(台地の削り残し)が河川争奪と関係ある地形かもしれないと思い、言葉にできる根拠はありませんが、何か気がかりです。

また、話しは大きく飛びますが、「ハナ-シマ」地名が縄文語由来で、「ハナ-ミ」や「ハナ-ワ」などと同族であり、自然地形・環境に関わるものと考えてきました。
そして、ハナシマのシマは別の地形を想定していました。今回、本当の「島」を発見して、地名の真の由来がここにあると考えるようになりました。
花島の姿

オ 平坦面の人為起源について
平坦面(段丘面)が実は人為的起源ではないかとのご指摘は十分に検討することが必要である大切な検討事項であると思います。今後検討したいと思います。
私は、地形面を利用して生活の場とし、その地形面を多少改変することはあると思っています。しかし、地形面(と観察できるような地形)を最初から造成して、生活の場とするようなことはほとんどないと考えて差し支えないと思っています。

2011年11月14日月曜日

ボーリング柱状図の解釈など

花見川河川争奪を知る41 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説16
oryzasan氏コメントに対する感想1

oryzasan氏から2011.11.8に3回目のコメントをいただき、このブログの「ページ」に全文掲載してあります。
このコメントの中で、oryzasan氏からボーリング柱状図やその解釈など、とても有益な情報を提供していただきました。改めて感謝申し上げます。

このコメントに対する私の感想を記事にして2回掲載します。
ブログ記事としては、微細すぎるかもしれない検討もありますが、花見川に対する認識を深めるために必要であると思いますので、ご容赦ください。

次の項目について述べます。
1 地質学的事実の裏付けの重要性
2 横戸の「谷状地形」について
3 ボーリング柱状図の解釈について
4 河岸段丘のでき方について

*    *     *

1 地質学的事実の裏付けの重要性
コメントの中でoryzasan氏より地質学的事実の裏付けの重要性についてご指摘がありました。
このご指摘については、全く異論のないところです。
河川争奪の全体像を真に明らかにするためは地質学的事実の裏付けが不可欠だと思います。
地質学的事実の裏付けをどのような方法でとるのか、今後検討していきたいと思います。
現在私が検討している事柄は地質学的事実の裏付けを取る前の予察作業であるといっても過言ではありません。
そういう意味で、今回のコメントはとても興味深いもので、ありがたいです。
oryzasan氏のご指導をよろしくお願い申し上げます。

2 横戸の「谷状地形」について
ア「谷状地形」について
言葉尻を捉えるようですが、(川側から順番に)盛土斜面があって、平坦面と急斜面があるのであり、確かに谷状ですが、もともとの谷があるわけではありません。
千葉第Ⅰ段丘に連続する地形面(平坦面)があるのです。
ですから、その地形面を構成する堆積物を調べることができれば、その上部には(千葉第Ⅰ段丘と同じ層序の)関東ローム層の存在が想定されます。
「しかしそのような古い谷が、その後のローム層の降灰によって埋められることが無く、残っているものだろうかという疑問も感じます。」は勘違いと思います。

イ 横戸の花見川東岸の露頭
千葉第Ⅰ段丘に連続する平坦面は演習線路鉄橋跡付近で西岸の方向に向かってしまい、oryzasan氏のおっしゃる通り、露頭位置にはこの平坦面は存在しないと思います。
なお、この露頭位置の斜面は戦後の印旛沼開発工事で掘削されています。その影響で、本来関東ローム層の上に乗る普請掘削土が現場ではたまたま観察できなかったのだと思います。
そのため柱状図には掘削土が記載されていないのだと思います。

平成3年の夏にこの斜面で山火事があり、斜面全体の地層が見えた時期がしばらく続いていたことを覚えています。

3 ボーリング柱状図の解釈について
ア B-A断面の別解釈
実際の地層観察をしていない私が、柱状図の解釈について考えを述べるということもいかがなものかと思いますが、お叱りを覚悟の上、一つの解釈をさせていただきます。

B-A断面の柱状図の対比を赤線のようにすることができないだろかということです。
B-A断面の別解釈

oryzasan氏の対比では、12175の2層の青層(粘土層)のどちらが、12180の1層の青層に対比されるか判然としません。
そこで、下部の青層が対比されると考えると、高度との関係も良くなり、対比がスムーズになるような気がします。
また12175のローム層の方が12180より厚くなっています。
そこで、赤線で示したように、12175の地層の途中(上部青層付近とローム層下部)が12180では欠落していると対比させたとします。
このように対比させると、地形面(段丘面)の発達解釈と整合的になります。
常総粘土層の最上部と関東ローム層の一部を削り込む地形面(段丘面)の存在を想定することになります。

12176と12175は台地面の、12180と12177は台地を削る地形面(段丘面)の地層柱状図であり、12177ではローム層上部が掘削と盛土により攪乱されていると解釈します。

イ 112489の解釈
112489のoryzasan氏の柱状図解釈は一つの優れた専門的見識だと思います。
盛土に埋没した地形面について考えている自分にとって「援軍来る」という感じがします。

一方、oryzasan氏には大変失礼だとは思いますが、ボーリングポイントは盛土部を後世に開削した場所です。
またローム層が分厚いことなどから、斜面掘削とその後のローム二次堆積を示している柱状図であると解釈することも捨てられません。
逡巡しています。

(つづく)

2011年11月13日日曜日

古柏井川の地形

花見川河川争奪を知る40 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説15

これまでの記事ではモデル断面を例に古柏井川の横断形について復元検討をしてきました。 この考えを平面形に敷衍して、古柏井川の地形復元図(想定)を作成しました。
古柏井川地形復元図(想定)
基図は旧版1万分の1地形図使用

復元想定した要素は、谷壁斜面上端線と谷底・平坦面です。

次の図は沖積面(河川争奪後に古柏井川の谷底・平坦面を刻んだV字谷の沖積面)も加え、古柏井川の地形復元を模式的に示しました。
古柏井川地形復元模式図(想定)
基図は旧版1万分の1地形図使用

*    *    *

横断的検討、平面的検討により、古柏井川の古地理・古地形の復元をしてみましたが、わかった主要事項を次に整理しました。

ア 谷壁斜面上端線の確認
現在の地形に惑わされることなく、古柏井川の谷壁斜面上端線の復元を行うことができました。

イ 谷底・平坦面(段丘)の分布把握
柏井付近と下横戸付近の現在の河岸段丘の存在・形状から外挿的に発想し、また古文書(断面図、透視絵図)による情報を拠りどころにして、谷底・平坦面の分布を復元しました。

ウ 谷底高度の把握
古文書(断面図、天保期堀割普請後の資料)、古地図、印旛沼開発工事資料等から人工改変以前の古柏井川谷底高度を復元把握しました。

エ 古柏井川を刻む沖積地形の把握
古文書から柏井付近と下横戸付近で古柏井川の谷底を刻む沖積地形の存在を把握しました。(柏井付近…水田利用、下横戸付近…溜池利用)

なお、古柏井川の谷底と平坦面(段丘)が柏井付近・下横戸付近の河岸段丘とどのように対比されるのか、仮想案はつくりましたが、実証できていません。

(oryzasan氏コメント2011.11.8に対する感想を次記事以降で述べたいと思います。)

2011年11月12日土曜日

3期・4期の地形横断変遷

花見川河川争奪を知る39 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説14
3期地形横断復元7

次に、3期・4期の地形横断変遷をモデル断面について、時間を追って見てみます。

1 3期(河川争奪後~普請前)の地形
3期地形横断

柏井で前谷津と後谷津を花見川に争奪されているため、空川になっている古柏井川の地形横断想定です。
空川となっている谷底面は、北柏井の集落の乗っている段丘面に対比される地形面であり、勝田川河岸段丘の千葉第Ⅱ面に対比されるものとして仮想しました。
その高さは12~15mと想定されます。
西岸寄りに段丘面(15~18m)の存在が想定されます。
この段丘面は柏井付近より南の高位段丘、勝田川の千葉第1段丘に対比されるものとして仮想しました。
川幅(谷津の台地浸食幅)250m程度、川の深さは10m~13m程度の谷であったと想定されます。

2天明期普請後の地形
天明期普請後の地形横断

享保期の普請と天明期の普請後、自然地形の谷底を3~5m程度掘り下げ、その土を主に西岸河岸段丘の上に捨土したと考えられます。
この地形横断は天保期普請の工事書類から判明しました。

この時の東岸の急斜面、西岸の河道付近の急斜面(天明期普請で掘削した斜面)、平坦面(捨土場であった段丘面)、谷上部の斜面が続保定記の絵図に表現されています。
続保定記絵図の地形表現
続保定記絵図の地形認識の断面上の対応

この断面図は水平距離を極端に圧縮して全部を一目でわかるように表現してありますが、垂直:水平=1:1にして、観察者の背丈とこの図のスケールを同一にした場合、観察者は続保定記絵図にあるような地形認識を持つことができます。

3天保期普請後の地形
天保期普請後の地形

天明期普請でつくられた古堀を約5m掘り下げ、残土を東岸の台地面縁と西岸の天明期捨土場上に捨土しました。
天保期普請では、モデル断面付近(高台付近)で東岸斜面を主に掘削して河道をつくろうとしています。
その理由として、洪水を流す線形をこの付近で東岸にカーブさせるという工学的配慮の存在が1つ考えられます。同時に天明期普請で土工量の少ない西岸段丘斜面を掘削し、その残土を段丘面上に捨土しましたが、その工事跡を触りたくなかったという事情があったと想像します。
高所にある捨土場を下から再度掘削するとなると崩れや滑りが発生し、当時の技術力では工事管理上の収拾がつかなくなることを恐れ、土工量は多少大きくなるが地山掘削の方を選んだのではないかと想像します。

4 戦後印旛沼開発工事前後の地形
戦後印旛沼開発工事前と現在の地形

戦後印旛沼開発工事前の谷底の高さは天保期の堀床の高さより3.5mほど高くなっています。その理由は土砂流入により自然に埋立が進んだものと考えられます。
戦後の印旛沼開発工事では、東岸斜面の掘削を行い河道幅を確保し、谷底を6m弱掘削しています。
天保期普請でつくられた谷地形と比較すると2mほど深く掘削しています。

2011年11月10日木曜日

ディスプレイ上の空中写真実体視

既報のとおり、1949年撮影米軍空中写真を国土地理院WEBサイトからダウンロードして、ディスプレイ上で裸眼実体視し、地形分類図を作成しました。
その感想を参考までに述べます。

下の画像は、左27インチ、右24インチのデュアルディスプレイで運用している画面の様子をプリントスクリーンで取得したものです。
空中写真裸眼実体視画面

画面右側ではフォトショップを立ち上げています。
連番2枚の空中写真のファイルを開き、それぞれ同じスケールで拡大したものです。
一方のファイル画面を移動して、自分の実体視しやすい場所に移動し、実体視します。
実体視しながら、一方の写真に(新規レイヤーを作って、その上に)界線を記入し、塗色します。
塗色は半透明にして、実体視と区分の双方の情報が判るようにします。

確かめていませんが、他の画像ソフトでも同じような作業が可能であると思います。

ディスプレイ上で実体視すると、画像の拡大縮小をその場で自由にできるので、きわめて効率的に作業ができます。
快適です。
これは印画紙による実体視では不可能です。

また、単写真では拡大しすぎて、画像が荒くなり地物の判別がしにくくなったものでも、実体視すると地物の3D像がよくわかることも初めて体験的に知りました。

このような作業がパソコンディスプレイ上で可能であることを偶然発見し、大感激しています。

画面左側ではGISソフト地図太郎を立ち上げ、千葉市から提供していただいたDMデータを表示しています。
このソフトでももちろん拡大縮小により、空中写真の表示に対応した地図表示を自由につくることができます。
この地図表示画面に新規レイヤーを被せ、画面左側で写真上に作成した地形分類図界線を等高線等を確認しながら、転写します。

このような手作業がほとんどマウスだけで出来て、結果が全て電子ファイルとして残り再利用できるということに、いまさらですが、感動しています。

*   *   *

これほど世の中が進歩したのだから、

ア 空中写真のオルソ化(GISに空中写真を取り込むための歪みの補正)を、個人のパソコンで実現したい
イ 空中写真の実体視で3D感覚できる地形起伏の量を、個人パソコンで測りたい

と欲張った夢想が頭をよぎりました。

アについては、WEBで調べたところ、数十万円のソフトを購入すれば可能のようです。
イについて、WEBで調べて、日本写真測量学会に問い合わせたところ、Image Master Photoという60万円のソフトを購入すれば可能であることを知りました。
さらに、日本写真測量学会の講習会に参加すれば、無償でImage Master Beginnersというソフトを入手でき、それにも同じ機能があるとのこと教えてもらいました。

このソフトは地物の写真を周りから複数枚とって、その計測図面や3D画像を自動的に作成するもので、それを空中写真にも応用できるとのことのようです。

無償ソフトの入手にはチャレンジしたいと思いますが、ソフトの低価格化が進むまで、本格利用は待つしかないかもしれません。