花見川河川争奪を知る41 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説16
oryzasan氏コメントに対する感想1
oryzasan氏から2011.11.8に3回目のコメントをいただき、このブログの「ページ」に全文掲載してあります。
このコメントの中で、oryzasan氏からボーリング柱状図やその解釈など、とても有益な情報を提供していただきました。改めて感謝申し上げます。
このコメントに対する私の感想を記事にして2回掲載します。
ブログ記事としては、微細すぎるかもしれない検討もありますが、花見川に対する認識を深めるために必要であると思いますので、ご容赦ください。
次の項目について述べます。
1 地質学的事実の裏付けの重要性
2 横戸の「谷状地形」について
3 ボーリング柱状図の解釈について
4 河岸段丘のでき方について
* * *
1 地質学的事実の裏付けの重要性
コメントの中でoryzasan氏より地質学的事実の裏付けの重要性についてご指摘がありました。
このご指摘については、全く異論のないところです。
河川争奪の全体像を真に明らかにするためは地質学的事実の裏付けが不可欠だと思います。
地質学的事実の裏付けをどのような方法でとるのか、今後検討していきたいと思います。
現在私が検討している事柄は地質学的事実の裏付けを取る前の予察作業であるといっても過言ではありません。
そういう意味で、今回のコメントはとても興味深いもので、ありがたいです。
oryzasan氏のご指導をよろしくお願い申し上げます。
2 横戸の「谷状地形」について
ア「谷状地形」について
言葉尻を捉えるようですが、(川側から順番に)盛土斜面があって、平坦面と急斜面があるのであり、確かに谷状ですが、もともとの谷があるわけではありません。
千葉第Ⅰ段丘に連続する地形面(平坦面)があるのです。
ですから、その地形面を構成する堆積物を調べることができれば、その上部には(千葉第Ⅰ段丘と同じ層序の)関東ローム層の存在が想定されます。
「しかしそのような古い谷が、その後のローム層の降灰によって埋められることが無く、残っているものだろうかという疑問も感じます。」は勘違いと思います。
イ 横戸の花見川東岸の露頭
千葉第Ⅰ段丘に連続する平坦面は演習線路鉄橋跡付近で西岸の方向に向かってしまい、oryzasan氏のおっしゃる通り、露頭位置にはこの平坦面は存在しないと思います。
なお、この露頭位置の斜面は戦後の印旛沼開発工事で掘削されています。その影響で、本来関東ローム層の上に乗る普請掘削土が現場ではたまたま観察できなかったのだと思います。
そのため柱状図には掘削土が記載されていないのだと思います。
平成3年の夏にこの斜面で山火事があり、斜面全体の地層が見えた時期がしばらく続いていたことを覚えています。
3 ボーリング柱状図の解釈について
ア B-A断面の別解釈
実際の地層観察をしていない私が、柱状図の解釈について考えを述べるということもいかがなものかと思いますが、お叱りを覚悟の上、一つの解釈をさせていただきます。
B-A断面の柱状図の対比を赤線のようにすることができないだろかということです。
B-A断面の別解釈
oryzasan氏の対比では、12175の2層の青層(粘土層)のどちらが、12180の1層の青層に対比されるか判然としません。
そこで、下部の青層が対比されると考えると、高度との関係も良くなり、対比がスムーズになるような気がします。
また12175のローム層の方が12180より厚くなっています。
そこで、赤線で示したように、12175の地層の途中(上部青層付近とローム層下部)が12180では欠落していると対比させたとします。
このように対比させると、地形面(段丘面)の発達解釈と整合的になります。
常総粘土層の最上部と関東ローム層の一部を削り込む地形面(段丘面)の存在を想定することになります。
12176と12175は台地面の、12180と12177は台地を削る地形面(段丘面)の地層柱状図であり、12177ではローム層上部が掘削と盛土により攪乱されていると解釈します。
イ 112489の解釈
112489のoryzasan氏の柱状図解釈は一つの優れた専門的見識だと思います。
盛土に埋没した地形面について考えている自分にとって「援軍来る」という感じがします。
一方、oryzasan氏には大変失礼だとは思いますが、ボーリングポイントは盛土部を後世に開削した場所です。
またローム層が分厚いことなどから、斜面掘削とその後のローム二次堆積を示している柱状図であると解釈することも捨てられません。
逡巡しています。
(つづく)
0 件のコメント:
コメントを投稿