2014年7月8日火曜日

下総台地の広域的地殻変動の学習 その2

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その8

1 活褶曲の分布
花見川流域を真ん中に含む関東北東部の活曲動と活褶曲を次に示します。

関東北東部の活曲動と活褶曲
貝塚爽平・松田磐余編(1982):首都圏の活構造・地形区分と関東地震の被害分布図解説 による

この地図に表現されている範囲には活曲動と活褶曲はありますが、活断層はありません。

活褶曲は出典資料では関東地方で全部で14が記載されていますが、上図に示す関東北東部に11記載されています。

関東北東部は活褶曲が集中して観察できる特異な場所であると言えます。

2 活褶曲の変動速度
出典資料には活褶曲の諸元および傾動量や平均変動速度が掲載されています。

活褶曲の傾動量や平均変動速度
番号
名称
長さ
km
走向
変動
形態
傾動
方向
変動基準
傾動量
10-3
年代
×103年
平均変動速度
10-3/103年
3
鴻巣-鳩ヶ谷隆起帯
30
NW-SE
褶曲
NE,SW
M1面
1.0
80
0.01
6
習志野隆起帯
30
NW-SE
褶曲
NE,SW
S面
1~2.5
130
0.01~0.02
7
柏沈降帯
20
NW-SE
褶曲?
NE,SW
S面, M1面
微小


8
守谷-取手隆起帯
40
NW-SE
褶曲?
NE,SW
M1面
<1
80
<0.01
9
八街隆起帯
40
NNE-SSW
褶曲
E,W
S面
1
130
0.01
10
栗山川沈降帯
20
N-S
褶曲
E,W
S面
1
130
0.01
11
飯岡隆起帯
15
NNW-SSE
褶曲
E
S面
1.7
130
0.01
12
鹿島隆起帯
40
N-S
褶曲
E,W
S面
5
130
0.04
13
北浦沈降帯
40
N-S
褶曲
E,W
S面
3
130
0.02
14
行方隆起帯
40
N-S
褶曲
E,W
S面
<3
130
<0.02
15
霞ケ浦東部沈降帯
40
N-S
褶曲
E,W
S面
<3
130
<0.02
貝塚爽平・松田磐余編(1982):首都圏の活構造・地形区分と関東地震の被害分布図解説 による
変動基準面のS面は下総上位面、M1面は下総下位面と同じ。

この表は次のように見ます。
例えば、6習志野隆起帯についてみると、傾動量欄に1~2.5とあります。
これは水平方向1000mに付き垂直方向1m~2.5mの変動があることを示しています。
年代欄には130とありますが、これは変動の基準とした地形面(S面=下総上位面)が13万年前に形成されたことを示しています。
平均変動速度欄には0.01~0.02とありますが、これは1000年間という時間単位で見た時、平均値として、水平方向1000mに付き垂直方向1㎝~2㎝変動することを示しています。

この計測は活褶曲軸に垂直方向の断面で行っています。

11の活褶曲の平均変動速度の桁は7柏沈降帯と8守谷-取手隆起帯を除いて同じで、7と8はそれより1桁小さくなります。

この表は活褶曲の運動が、基準となる地形面が形成されて以降の万年単位という時間軸でみると、一定スピードで平均的に生じていると仮定して作成されています。

3 活褶曲抽出に関する感想
出典資料(1982年)における活褶曲の設定が現在の地形学の設定としてそのまま活きています。

この活褶曲の設定について、それが高度な(高次な)思考によるものであると感じます。

具体的地形を見ると、より小規模の沈降軸や隆起軸があるのですが、それらの細かい情報は捨象して出典資料に記載された活褶曲を抽出するプロセスの背景には膨大多様な情報を高度に処理した背景があると直感しました。

4 活褶曲に関する疑問
さて、活褶曲6~8は一つのグループのように捉えることができるように分布図からは見えます。

一方これらの活褶曲と走向が全く異なる9~15の活褶曲があります。

活褶曲6~8と活褶曲9~15との関係(より直接的には活褶曲6と活褶曲6の関係)について強く興味をもっているのですが、いろいろな専門図書を見ましたが情報を得られませんでした。

なぜ、活褶曲6習志野隆起帯の走向がNW-SEで、活褶曲9八街隆起帯の走向がNNE-SSWであり、角度を持ってぶつかる関係(接する関係)にあるのか。
なぜ、活褶曲6の台地と活褶曲9の台地の標高が漸移的ではなく、段差的に変化するのか。
これらの疑問は今回の学習では解けませんでした。

以前、根拠のない空想を次の記事に書いたことがあるのですが、いつか空想ではなく、専門知識と関わりを持たせて上記疑問の解答を書ければうれしいと思っています。
2013.11.12記事「2つのプレート運動と活褶曲地形との関係」
2014.02.05記事「気になる円弧状地形模様」 など

2014年7月7日月曜日

下総台地の広域的地殻変動の学習 その1

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その7

このシリーズの「第4部 下総台地形成に遡る」では、最初に「下末吉海進期のバリアー島学習」に取り組みました。
その取り組みの中で、このシリーズでは次の事柄について検討したい(興味がある)ということが、自分自身で絞り込まれ自覚できるようになりました。

●「第4部 下総台地形成に遡る」で検討したい事柄
 下総上位面について次の3要素を詳しく知りたい。
ア 下総上位面が離水した当時の海岸地形を知る
イ 広域的な地殻変動の傾向と原因等について知る
ウ 局所的特徴的変動地形について整理分類してその成因や時期について知る

アについては「下末吉海進期バリアー島の学習1~6」の記事をこれまでアップしてきました。
「下総上位面は、わずかな勾配で広がっていた広大な海底が離水して形成された」という、ただそれだけの単純認識から、学習によりかなり具体的な離水時海岸地形について認識を深めることができました。

さらなる学習を続け、興味深いことが貯まれば記事にします。
とりあえずこれで一旦区切ります。

イについて、これから専門図書により学習した結果を記事にします。

ウについては、イの連載後に、次のような事象について、これまでこのブログで検討してきたことをより深め、集成したいと思います。
小崖(断層)、オタマジャクシ状凹地(沈降)、地溝、レーキ(沈降軸起因の水系パターン)、変動地形起因特殊侵蝕形 等

1 下総上位面にかかる広域的地殻変動を知るための視点
活曲動と活褶曲の2つの視点から下総下位面にかかる広域的地殻変動を知ることにします。

活曲動と活褶曲の定義は次の記述によることにします。
「断層とちがって地盤がたち切られることになく、たわんだり、うねったりする変動を曲動とか褶曲とかいう。
曲動は一般に褶曲より大規模な、さしわたし数10㎞以上のたわみ上がり(曲隆)やたわみ下がり(曲降)をさし、褶曲は波長が10㎞前後以下の、細長くのびるものをいうのが普通である。」(貝塚爽平・松田磐余編(1982):首都圏の活構造・地形区分と関東地震の被害分布図解説)

2 下総上位面にかかる活曲動
次の図は首都圏における活曲動・活褶曲の分布を示したものです。

首都圏における活曲動・活褶曲の分布
貝塚爽平・松田磐余編(1982):首都圏の活構造・地形区分と関東地震の被害分布図解説 より引用

この図でS面段丘とは下末吉面段丘の略称で、すなわち下総上位面のことです。

S面(下総上位面)は関東平野でもっとも広い面積をしめ、また海成堆積面が広いから、その表面の等高線が示す凹凸は、S面形成後のおよその垂直変動パターンを示すものと考えられます。

S面(下総上位面)の現在の高度は、千葉県における分布域南端で標高130m超、関東平野中央の大宮台地で標高15mとなりその差が115m以上あります。

S面(下総上位面)が形成されて以降、関東造盆地運動と呼ばれる沈降があり、その中心は、4つの矢印で示されます。

4つの沈降部は、1東京湾造盆地運動の中心、2古河地区造盆地運動の中心、3荒川沈降帯、4秦野-横浜沈降帯の中央部です。
このうちはじめの2つが曲降運動と呼ぶにふさわしい形を持ちます。

大局的に見ると、平野中心部にこの2つの曲降運動(古河地区及び東京湾)を持つことにより、周辺部の隆起速度の方が速い平野全体が同心円状の徐々に隆起する運動があったと考えられます。

このような運動により、それまで東にも開いていた古東京湾が消滅し、現在の利根川上流域は、渡良瀬川とともに南流し東京湾に注ぐようになり、鬼怒川流域との間に低い分水界が成立したと考えられます。(なお、江戸時代の利根川東遷事業により、利根川そのものは再び東の太平洋に注ぐようになりました。)

参考 「首都圏における活曲動・活褶曲の分布」と地形段彩図とのオーバーレイ図
手持ちの5mメッシュにより地形段彩図を作成し、それに「首都圏における活曲動・活褶曲の分布」をオーバーレイしました。

つづいて活褶曲について学習します。

つづく

2014年7月6日日曜日

玉虫を拾う

散歩途中の路上で交通事故に遭った玉虫を見つけました。
足が動いていますからまだ事故に遭って時間が経っていないようです。

車に轢かれた玉虫

車に轢かれた玉虫 まだ生きている

フクロウの羽を拾った場所から20mと離れていません。またハクビシンやノウサギと会った場所もここです。

花見川付近の林にハクビシンやフクロウとともに玉虫も棲むことがわかり、論理的意味は不確かですが、嬉しい気分になります。

玉虫の金属光沢がきれいで縁起が良いような気がしたので、いつも持参しているビニール袋に入れて持ち帰り、散歩拾い物コレクションに加えることにしました。

縄文土器を拾ってから、散歩の時は常時ビニール袋を持参して、不意の興味ある拾い物に備えています。

花見川散歩における拾い物がこれで3点となりました。2点ではそういう言葉をつかうことははばかれますが、3点になったので「コレクション」という言葉をつかうことができそうです。

花見川散歩における拾い物コレクション
●縄文土器 2013.08.10記事「縄文土器を拾う」参照
●フクロウの羽 2014.05.22記事「フクロウの羽を拾う」参照
●玉虫 この記事

拾い物コレクションでは、その数を増やしたいという興味は現在のところ皆無です。

しかし、拾いたいと感じたこと自体の中に、その物を通じて何かの興味を深めたいという潜在意識が内臓していることに、気がつきます。

従って、拾い物を分析するなりすれば、何らかの興味を深めることができ、散歩趣味をより豊かにすることができると思います。

縄文土器については、拾っただけでまだじっくり観察していません。
じっくり観察して、自分でも様式などがわかるものか、検討したいと思っています。
また、縄文土器より新しい土器片も混入しているようです。
検討を深める余地大です。

フクロウの羽については、その消音装置を拡大写真で示すことが出来そうです。

玉虫をなぜ拾ったのか、これからじっくり考えたいと思います。
古代から人々を魅了してきたその輝きについて、その料理法を見つけたいと思います。


2014年7月5日土曜日

下末吉海進期バリアー島の学習 その6

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その6

下総台地の主要地形面である下総下位面はバリアー島や潮汐三角州などの海岸地形が原形であることを、これまでの学習で理解しました。
これらの海岸地形は海進時特有の地形であることも学習しました。(2014.06.28記事「下末吉海進期バリアー島の学習 その1」参照)

手持ち図書を見ていたら、バリアー島が海面の上昇する地域の海岸では絶えず陸側の向かって移動しつづけていることを示す研究例紹介を見つけましたので、紹介します。

海面上昇地域におけるバリアー島発達モデル
貝塚爽平編(1997):世界の地形、東京大学出版会 より引用

バリアー島発達モデル付近の地図
貝塚爽平編(1997):世界の地形、東京大学出版会 より引用

レホボス湾付近のGoogle earth画面

次のような説明が記述されています。
「海面が継続して徐々に上昇しているので、デラウェア海岸に発達する沿岸州島は海進堆積物の証拠を海底に残しながら陸方または上方へと移動していった。…図4に示すこの海岸中央のレホボス(Rehoboth)湾とその前面を縁どる沿岸州島の断面(図5)を見ると、沿岸州島をつくる砂の下部に2000-6000年前に堆積したラグーンないし湿地堆積物が見られ、海進に伴って沿岸州島が沖合から陸地側に向かって徐々に移動してきたことがわかる。したがって、3500年前には沖合11-12㎞に発達していた沿岸州島が現在は沖合8㎞に位置している。過去の変化や現在の海面上昇速度と沿岸州島の外洋側での後退速度などを考慮すると、沿岸州島は3000-5000年後には本土を縁どる砂堤となり、ラグーンはほぼ消滅してしまうと予想されている。このように、沿岸州島は現在の環境下でも決して安定したものではなく、徐々に海面の上昇する地域の海岸では沿岸州島はたえず陸側に向かって移動しつづけていることが判明している。(図5)」(貝塚爽平編(1997):世界の地形、東京大学出版会 より引用)

2014年7月4日金曜日

花見川上ガスのメカニズム仮説

花見川上ガスのメカニズム仮説を絵にしてみました。
特段の科学的調査をしたものではありませんが、季節を跨いだ散歩レベルの観察と常時継続した思考による産物です。
裏付根拠は薄弱ですが、まず絵にして、仮説バージョン1として設定することが大事だと思っています。この仮説バージョン1を出発点にして、データを肉付けしながら検討を深めていくつもりです。

花見川上ガスのメカニズム仮説

春になると、多数の農業用深井戸(100m~200m)が一斉にフル稼働して地下水をくみ上げる活動が始まります。
この時、揚水を賄うために地層中の地下水が深井戸に吸い寄せられるように急速に移動します。
この時、揚水している地層より下位にある地層からも地下水が絞り出されます。
この絞出された地下水にガスが含まれていると考えます。
つまり、揚水している地層のすぐ下位にガス兆候層あるいはガス層があると考えます。
揚水によりガス兆候層の地下水が絞り出されると、ガスを含んだ地下水が地下100m~200mの地層中を移動することになります。
この移動している地下水に取り込まれたガスが移動途中に地表に湧出します。
花見川では水面で泡となって湧出し、観察できます。
水面のないところでも湧出しているのですが、量がごくわずかですから人に観察されることはないのです。


この絵は概念図(ポンチ絵)ですが、ちなみに「農業用深井戸による揚水」地点と「花見川の上ガス」地点の距離は約900mです。それと同じスケールで、絵の深井戸の深さ200mを描いてあります。

2014年7月3日木曜日

上ガス低調

上ガスの頻度が明らかに低調になってきていますので、記録しておきます。

散歩のときに花見川の水面をみて、上ガスの発生頻度をしばらく見る程度で、何かの計測をしたり、記録したりしているわけではありません。したがって、きわめて感覚的なものですが、確実に上ガスの頻度が低調になってきています。

昨日などはしばらく水面を見てもほとんど上ガスを見つけることができませんでした。

2014.05.09記事「上ガスの季節変動は農業活動に起因する」にデータを示したように花見川付近の地下水位は6月中旬頃に最も深くなります。つまり、6月中旬頃までが農業用揚水の最盛期で、それ以後の揚水量は減少するということです。

農業用揚水が減少しだしている7月初旬になると、上ガスが低調になることは、これまでの上ガス成因仮説と符合します。

実際に花見川近くの勝田川谷津の水田を見ると、最近では開栓して水を水田に流しているバルブの数は1/3程度で、あまり水を使っていない様子がわかります。揚水しなくても雨水を利用できているのだと思います。

いつか詳細な調査をしたいと思っていますが、多少のタイムラグはあるにせよ、勝田川谷津における日々の農業用揚水量に、花見川水面の上ガス頻度が直接比例しているのではないかと、考えています。

揚水を大量消費しなくなった勝田川谷津の水田の様子 2014.07.02


ようやくみつけた花見川上ガス 2014.07.03

2014年7月2日水曜日

下末吉海進期バリアー島の学習 その5

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その5

1 潮汐三角州の実例
潮汐三角州の実例をGoogle Earthで探してみました。
アメリカ合衆国ノースカロライナ州の大西洋岸に発達するバリアー島の中に、規模は小さいのですが模式図そっくりの事例を見つけたので紹介します。

ノースカロライナ州コアサウンドの潮汐三角州
斜め写真 Google Earth

ノースカロライナ州コアサウンドの潮汐三角州
垂直写真 Google Earth

ノースカロライナ州コアサウンドの潮汐三角州の位置
Google Map

2 2014.06.28記事「下末吉海進期バリアー島の学習 その1」の論点について
2014.06.28記事「下末吉海進期バリアー島の学習 その1」で、増田富士雄による古東京湾とバリアー島のイメージ図を引用し、下末吉海進期の最高海面期の姿としてバリアー島が存在していたという説明を紹介しました。
一方、そのイメージ図を引用紹介した専門図書「貝塚爽平他編集(2000):日本の地形4 関東・伊豆小笠原、東京大学出版会」ではバリアー島は最終間氷期最盛期後のわずかな海面低下に伴って出現したという説明をしていて、イメージ図作成者の説と違う説明をしていて、奇異に感じた事を述べました。

その説明の違いの背景に論争などがあるとすれば、それを知ることが出来れば自分の学習が深まると思いました。

結果は正面からぶつかる論争というようなものではなく、単なるすれ違いみたいなものであるに違いないと感得されましたので、メモしておきます。

「古東京湾とバリアー島のイメージ」が掲載されたのは次の論文です。
増田富士雄(1992):古東京湾のバリアー島、地質ニュース458、16-27頁

この論文の3年前の論文に次のような記述があります。
岡崎浩子・増田富士雄(1989):古東京湾の流系、堆積学研究会報31号、25-32頁
「下末吉海進時にバリアーや潮汐三角州が発達し,最高海面期には活動が低下した.その後,海面がわずかに低下すると再びこの地域が細長く離水して,バリアーになったと思われる.」

この文章からは、最高海面期にはバリアー島は水没し、その後バリアー島が発達したという印象を受けます。

おそらく「古東京湾とバリアー島のイメージ」に関してその著者の思考が1989年から1992年の間に変化発展したのだと思います。

専門図書サイドで「古東京湾とバリアー島のイメージ」を引用する際に、イメージ図のキャプションに著者の見解に抗して別の説を意識的に書いたということではなく、当初著者が発表していた説(原著の説)を書きこんだということだと思います。

専門図書では「古東京湾とバリアー島のイメージ」だけでなく、「古東京湾の堆積環境」の図も紹介していて、それらの情報を重視している印象を受けます。

2014年7月1日火曜日

下末吉海進期バリアー島の学習 その4

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その4

2014.06.30記事「下末吉海進期バリアー島の学習 その3」で上げ潮潮汐三角州とバリアー島の間の潮流口(水路)が鹿島川谷津の出自(起源)であると述べました。

その記事で掲載した図では現在の印旛沼(このブログでは鹿島川として扱っている)は上げ潮潮汐三角州の中央に位置しているので、理解できないと思いますので、説明を追加します。

根拠となる情報がなく、空想になってしまいますが、実際の上げ潮潮汐三角州は次のように二つに分かれて発達したと考えました。

下末吉海進期の上げ潮潮汐三角州とバリアー島及び潮流口の概念分布図 空想図

このように想定すると、Bの水路と上げ潮潮汐三角州の中央にある水路が原形となって鹿島川(つまり印旛沼)の起原となったと考えることができます。

WEBでアメリカのサイトを検索すると、上げ潮潮汐三角州が分割して発達することをしめす模式図や実例が多数見つかるので、上げ潮潮汐三角州は必ず一塊で発達すると考えなくてもよいと思いました。

また、現実に印旛沼が存在する低地が下総下位面の時代(小原台海進期)には存在していたのですから、上記空想図のように空想すること自体無意味ではないと思います。

なお、上げ潮潮汐三角州を二分する水路と考えた位置にある現在の沖積地の形状を次に示します。

北印旛沼付近の台地縁包絡線とそれに囲まれた低地の形状

私はこの形状をみて、奥に深く入り過ぎているので、利根川の曲流がつくったものとは到底考えられないと思っています。
いわんや鹿島川がつくった形状と考えると不自然過ぎて、ありえないと思っています。

包絡線が各所で弧をなすところから、また規模の大きさから地殻変動の影響を強く受けていると考えています。

上図の低地の西隣台地上に規模が似ている変動地形としての凹地(このブログではオタマジャクシ状凹地と呼んでいる)があり、この低地の起原検討における参考となると思っています。

ですから、上げ潮潮汐三角州の形状とバリアー島との関係で生じた水路が鹿島川谷津(つまり印旛沼)の起原となり、それがその後地殻変動の影響を強く受けて、現在の姿になったと考えます。

一方、そもそも上げ潮潮汐三角州が形成する時に、既に地殻変動の影響を受けていたと考えることもできると思います。
何となれば、バリアー島など離水が早かったところは隆起軸であり、印旛沼筋(ラグーンであったところ)は向斜軸になっているからです。
褶曲運動のリズムから上げ潮潮汐三角州の中央付近に沈降軸があって、その影響を最初から受けていたと考えることができるかもしれません。
今後検討を深めたいと思います。