2014年7月1日火曜日

下末吉海進期バリアー島の学習 その4

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その4

2014.06.30記事「下末吉海進期バリアー島の学習 その3」で上げ潮潮汐三角州とバリアー島の間の潮流口(水路)が鹿島川谷津の出自(起源)であると述べました。

その記事で掲載した図では現在の印旛沼(このブログでは鹿島川として扱っている)は上げ潮潮汐三角州の中央に位置しているので、理解できないと思いますので、説明を追加します。

根拠となる情報がなく、空想になってしまいますが、実際の上げ潮潮汐三角州は次のように二つに分かれて発達したと考えました。

下末吉海進期の上げ潮潮汐三角州とバリアー島及び潮流口の概念分布図 空想図

このように想定すると、Bの水路と上げ潮潮汐三角州の中央にある水路が原形となって鹿島川(つまり印旛沼)の起原となったと考えることができます。

WEBでアメリカのサイトを検索すると、上げ潮潮汐三角州が分割して発達することをしめす模式図や実例が多数見つかるので、上げ潮潮汐三角州は必ず一塊で発達すると考えなくてもよいと思いました。

また、現実に印旛沼が存在する低地が下総下位面の時代(小原台海進期)には存在していたのですから、上記空想図のように空想すること自体無意味ではないと思います。

なお、上げ潮潮汐三角州を二分する水路と考えた位置にある現在の沖積地の形状を次に示します。

北印旛沼付近の台地縁包絡線とそれに囲まれた低地の形状

私はこの形状をみて、奥に深く入り過ぎているので、利根川の曲流がつくったものとは到底考えられないと思っています。
いわんや鹿島川がつくった形状と考えると不自然過ぎて、ありえないと思っています。

包絡線が各所で弧をなすところから、また規模の大きさから地殻変動の影響を強く受けていると考えています。

上図の低地の西隣台地上に規模が似ている変動地形としての凹地(このブログではオタマジャクシ状凹地と呼んでいる)があり、この低地の起原検討における参考となると思っています。

ですから、上げ潮潮汐三角州の形状とバリアー島との関係で生じた水路が鹿島川谷津(つまり印旛沼)の起原となり、それがその後地殻変動の影響を強く受けて、現在の姿になったと考えます。

一方、そもそも上げ潮潮汐三角州が形成する時に、既に地殻変動の影響を受けていたと考えることもできると思います。
何となれば、バリアー島など離水が早かったところは隆起軸であり、印旛沼筋(ラグーンであったところ)は向斜軸になっているからです。
褶曲運動のリズムから上げ潮潮汐三角州の中央付近に沈降軸があって、その影響を最初から受けていたと考えることができるかもしれません。
今後検討を深めたいと思います。



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