2011年2月6日日曜日

花見川上流紀行 20竹林 その3

上の図は天保の「堀割普請断面図」(鶴岡市郷土資料館寄託 清川齋藤家文書)〔「天保期の印旛沼堀割普請」(千葉市発行)掲載〕であり、古堀筋(天明期堀割普請の跡)の周囲の斜面を掘削して堀割を作る計画断面を示しています。

この断面を見て、昨日まで竹林の機能と分布限定要因を次のように考えていました。
1竹林は掘削した斜面を安定させるために植えた。(防災竹林)
2柏井付近にのみ分布するのは、この付近は谷底平野があり開田されていたため、水田を守る必要があり掘削した斜面に竹林を植えた。それより上流は水田が無いので、守るべきものがないので、竹林は植えなかった。

しかし、よく資料をみるとこの論理はどうも間違っているのではないかと気づきました。

まず上の断面図は原地形が古柏井川であった部分の断面図のようです。竹林の分布していない普請区間の断面図です。

この区間の工事パースを次に示します。
この絵図は「百川雇丁場堀割之所」(続保定記 山形県平田町 久松俊一家文書、「天保期の印旛沼堀割普請(千葉市発行)」掲載)です。弁天方面から下流方向を眺めたものです。斜面を掘削している様子がよくわかります。この区間には竹林は分布していません。

一方、竹林が分布している区間の工事パースを次に示します。
この絵図は「新兵衛・七九郎丁場化灯の場所廻し堀いたし水をぬぐ図」(続保定記 山形県平田町 久松俊一家文書、「天保期の印旛沼堀割普請(千葉市発行)」掲載)です。柏井付近から下流方向の普請の様子を描いています。谷底で水分を含んだ馬糞のような化灯土と格闘している様子がもっぱら描かれています。化灯の向こうには水田の印(畦をイメージした細線)のある平地があり、その背後に斜面があります。斜面は工事の対象となっていません。この区間の斜面に竹林が分布します。

ということで、今わかったことは次のようなことです。
1斜面掘削された場所に竹林は植えられていない。
2斜面掘削の必要がない谷底平野をもつ自然斜面に竹林が植えられている。
3竹林が植えられている区間では谷底平野に水田があった。また化灯があり、工事に難渋した。

次に参考までに、谷底と竹林記号の位置関係を示します。
花見川谷底(普請前に開田されていた部分)とその谷の斜面の竹林記号の分布が一致します。

現代人の、特に技術者の癖として、竹林成立の理由を合理的に説明しようとします。そこに陥穽があるような気もします。
私は竹林の土砂崩落防止機能からその成立を説明しようとしました。竹林に防災機能があること自体の説明が間違っているとは思いません。しかし、その説明では竹林が水田をまもることになります。そんな必要は全くないような狭い水田です。近隣の水田でそのような防災措置をとったところはありません。

例えば竹林と化灯の間に、現代技術では考えていない関係を当時の人が見ていた可能性もあるように感じます。易学などの影響もあるかもしれません。(想像例「竹林を谷の斜面に植えることによって地下水の流入を減らし、馬糞のような化灯の水分を減らして水路の維持管理を容易にする。」)

結局、竹林の機能とその分布限定理由はもう少し時間をかけて検討することにします。
しかし、一応次のような感想を書いておきます。
1地元の方から竹林の由来を聞けば、もしかしたらこうした疑問は氷解するかもしれない。
2竹林が柏井付近の独自な文化景観であることは間違いなさそうである。
3竹林の成立と堀割普請との間には密接な関係がありそうである。

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