2011年2月5日土曜日

花見川上流紀行 19竹林 その2

竹林記号分布図
竹林記号分布図(拡大図)
「竹」(室井綽著 1973年法政大学出版局発行)には、山崩れ、地すべり、または河川氾濫の防止に役立つ防水竹林について、日本の代表的な種類として、「東北地方ではアズマネザサ、アズマザサ、本州南部ではハチク、マダケ、小さい川ではメダケ、ネザサ、九州地方ではマダケ、ハチク、小さい河川やシラス台地ではホウライチクが植えられている。」という記述があります。
このような資料からも、堀割斜面のマダケ林が普請の時に防災竹林として植えられたものの末裔であるという仮説がより確からしく感じられてきました。
そこで、この仮説を検証するために、旧版1万分の1地形図(大正6年測図)の竹林記号を柏井付近周辺の4図幅(習志野原、大和田〔上半分は白図〕、大久保、三角原)の隅々まで完全悉皆的に調べプロットしてみました。
上に全体の竹林記号プロット図と柏井付近の花見川沿いを拡大したプロット図を示しました。
この図から次のことが判明しました。

1大正6年の竹林分布は極めて偏在的です。
・竹林(竹林記号で表現されるような一定規模以上の竹林)はどこにも満遍なく分布している植物ではなかったということがわかりました。
・竹林はその必要性があって初めて意識的に植えられたのであり、広く一般に普及している植物ではないということがわかりました。

2柏井付近の花見川沿いに集中的に分布しています。
・4図幅(実態は3.5図幅)の面積58.34平方キロメートルの中に竹林記号は全部で182出現しますが、そのうち柏井付近の花見川沿いに78出現し、全体の43%に及びます。
・このことから、現在見られる柏井付近の竹林分布の密集さは大正6年から継続してきていることが確認できます。同時に、この竹林分布は他の土地利用等と同じく、明治時代以前から継続してきたことを物語っていると言ってよいと思われます。(なお、明治15年頃測図された迅速図には竹林の表現がありません。凡例自体がないように感じられます。また2万分の1という縮尺精度からいっても表現することは無理のようです。)

3花見川沿いでは堀割斜面に竹林が分布しています。
・拡大図からわかるように、花見川沿いでは堀割斜面に竹林が分布しています。
・花見川沿い以外の竹林は街道沿い人家の屋敷林の一部など、ほとんどが平地に分布しています。(高津新田には竹林記号が34集中的に分布していますがここも台地上です。筍栽培地のように想像しますがその密集理由は不明です。)
・このことから自然の谷津斜面について、防災上の理由から竹林を植えることはこの地方では無かったことがわかるとともに、堀割普請(工事)で斜面を削ったからこそ竹林を植えて斜面崩壊防止を図ったことが浮かび上がります。
・国策的ビッグプロジェクトとしての堀割普請だからこそ、このような大規模な竹林造成ができたのであり、住民の日常生活の中で竹林が造成されたのではないことが明らかです。(この分布図からいわば証明されたと言って過言ではないと思います。)

しかし、次に疑問が生じます。柏井付近の花見川の竹林が堀割普請で植えられた防災竹林であることはわかったとしても、それより上流の堀割になぜ竹林が分布しないのか?
この疑問について次に考えて見ます。(つづく)

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