吉田東伍著「大日本地名辞書」習志野原の項
陸上自衛隊習志野演習場を見学した際、案内していただいた第1空挺団の広報幹部の方から習志野原の地名は明治天皇の命名によることを教えていただきました。
上の画像のように、吉田東伍著「大日本地名辞書 坂東」(明治40年 冨山房)においても明治天皇の命名が確認できます。もちろん、角川「千葉県地名大辞典」でも確認できます。
習志野原という地名は船橋市、八千代市、習志野市にかかる広域的な地域を指します。
同時に、現在では習志野市の市名と東習志野という町名、船橋市の習志野、習志野台という町名にもなっています。
広報幹部の方から教えていただいた内容が、第1空挺団パンフレットに詳しく出ていますので、以下に関係部分を抜粋します。
「習志野駐屯地について
習志野原は江戸時代「下総国大和田原(別名小金原)」と呼ばれ、徳川幕府直轄の放牧場であった。
明治6年4月29日天皇親裁により初めて陸軍大演習が西郷隆盛以下の近衛兵により大和田原で行われた。
天皇はこの演習を天覧され、演習を指揮した少将、篠原国幹の見事な指揮振りに感銘され、「習篠原」(篠原に見習いなさい)という御言葉を賜り、この御言葉から「習志野原」と、明治6年5月13日に命名されたといい伝えられており、旧軍当時は「350万坪」という広大な面積を有していた。(後略)」
なお、戦前はこの地に陸軍騎兵学校が創設されました。習志野は騎兵の町で有名でした。坂の上の雲に出てくる日本騎兵の父秋山好古が第2代の校長を務め、日本で唯一の騎兵幹部教育を実施しています。また近くの大久保には実戦部隊である騎兵第13連隊~16連隊が駐屯していました。
(私の父は最初の徴兵でこの騎兵実戦部隊に配属され、馬の取扱について習熟するとともに、騎兵としての訓練を受けました。父が大久保とか実籾の地名を知っていたので、不思議に思い、その理由を聞いた時、騎兵連隊入隊の話しを聞きました。)
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