2014年7月31日木曜日

勝田台オタマジャクシ状凹地の検討 その2

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その24

勝田台オタマジャクシ状凹地のボーリングデータを調べたところ、勝田台オタマジャクシ状凹地が地史的観点からみて最近まで湖沼であった可能性が濃厚になりましたので報告します。

1 地質柱状図を調べる
1-1 ボーリング柱状図の位置
千葉県地質環境インフォメーションバンクから勝田台オタマジャクシ状凹地付近の地質柱状図を検索しました。次のその位置図を示します。

勝田台オタマジャクシ状凹地付近の地質柱状図位置図

1-2 地質柱状図紹介
地質柱状図を並べて紹介します。

勝田台オタマジャクシ状凹地付近の地質柱状図

2 地質柱状図から読み取れること
オタマジャクシ状凹地の中央部ではローム層が欠如していることが判りました。

つまり、凹地はローム層欠如が見かけ上の最大要因であることが判ったのです。

ローム層が欠如した理由はオタマジャクシ状凹地の中央部が最近まで(※)流下性湖沼であり、降灰の大半が増水時に湖沼外に流されてしまうメカニズムを持っていたからだと思います。

※ 最近までといっても、最終氷期最盛期(1.8万年前)頃までには勝田川谷津の頭方侵蝕で湖沼は消失していたと考えます。

長沼(古長沼、歴史時代の呼び名は長沼池)は同じ頃に台地上にできて、同じような流下性湖沼であって、縄文時代から水源として利用され、戦後埋め立てられるまで湖沼の姿を保っていたのですから、勝田台オタマジャクシ状凹地に湖沼があったことを考えることに論理的抵抗は全くありません。

勝田台オタマジャクシ状凹地の中央部に湖沼ができた理由は地殻変動であることが、地質柱状図から読み取れます。

上図で整理番号31080と31079の常総粘土層上面高度は、左の5つの柱状図及び右の整理番号31043より高くなっています。

常総粘土層上面は下末吉海進のおける離水時の堆積物であると考えらますので、堆積当時は水平に近い地層であったと考えられます。したがって、現在見られる常総粘土層上面の標高差は地殻変動の結果と考えてよいと思います。

上図に戻ると、常総粘土層上面について、整理番号31079と31043の間に約0.5mの差があります。これが地殻変動の差です。

なお、厳密に考えると、整理番号31043の常総粘土層上面は最近まで湖沼として堆積してできた地層の上面です。ですから、整理番号31079の常総粘土層上面とは直接比較できません。整理番号31043の常総粘土層の層厚を減じて比較する必要があります。ですから、おそらく、地殻変動の差は1mくらになります。

0.5mにしろ、1mにしろ、その程度の地殻変動により閉じた凹地が一旦できたため、そこに湖沼ができたのです。

そして、その湖面に降った火山灰の多くが増水時に流されたため、結果として比高差3m(地質柱状図データ)~5m(地形断面図データ)の凹地ができたのです。

勝田台オタマジャクシ状凹地の成因仮説バージョン1をつくるとことができました。

勝田台団地は湖沼跡につくられた! のです。

0 件のコメント:

コメントを投稿