2014年11月15日土曜日

旧石器時代遺跡の文化層別分析 その1

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.2旧石器時代の移動路>3.2.21旧石器時代遺跡と地形 事例検討その15 旧石器時代遺跡の文化層別分析 その1

草刈遺跡を例にとり、後期旧石器時代遺物集中地点と地形との関係を分析してきましたが最後に文化層別分析を行います。

1 文化層区分と地層との関係
「千原台ニュータウンⅩ-市原市草刈遺跡(東部地区旧石器時代)-」(平成15年、財団法人千葉県文化財センター)では次のような文化層区分を行っています。

文化層の区分
「千原台ニュータウンⅩ-市原市草刈遺跡(東部地区旧石器時代)-」(平成15年、財団法人千葉県文化財センター)掲載図版にメモ追記、塗色

第1文化層が最も時代が古く、第7文化層が最も時代が新しくなります。

2 文化層別遺物集中地点数
文化層別遺物集中地点数を次のグラフに示します。

文化層別遺物集中地点数
このグラフから、第1文化層の遺物集中地点数1、第2文化層も1、第3文化層は2ときわめて限定されていますが、第4文化層では突然40に急増し、その後第5文化層では9に減少しますが、第6文化層で再び39に急増し、第7文化層で再び6に減少するという経過をたどります。

このグラフから、遺物集中地点の出土数を指標にすると、第1文化層~第3文化層の時期と第4文化層~第7文化層の二つの時期に大きく区分することが可能です。

第1文化層~第3文化層の時期はこの台地に狩りに訪れた旧石器時代人の数が大変少数であったことが、それと比べて第4文化層~第7文化層の時期は狩に訪れた旧石器時代人は急増したり、減少したりしたことがわかります。第5文化層、第7文化層で減少したといっても、第1文化層~第3文化層の3倍~9倍あるのですから第4文化層以降と第3文化層までとは狩に訪れた旧石器時代人人数が大幅に異なることがわかります。

後期旧石器時代では人々は定住していませんから、時代別遺跡密度の高低は時代別人口密度の高低と強く相関していたと考えることが妥当です。
したがって、上記事実から、第1文化層~第3文化層の時代には房総の人口密度が大変低く、第4文化層~第7文化層の時代には房総の人口密度が前の時代と比べると増加し、特に第4文化層と第6文化層の時代には人口密度が急増したということが想定されます。

2 文化層別遺物集中地点分布
次に文化層別に遺物集中地点の分布を見てみました。

文化層別遺物集中地点分布 1

文化層別遺物集中地点分布 2

これらの分布図を見ると、遺物集中地点の規模の大きなもと規模の小さなものがセットで現れる現象(臨時キャンプと現場出先作業施設のセット)は第4文化層から第7文化層までの時期特有の現象であることがわかります。

文化層別に、出土石器数による遺物集中地点規模数のグラフは次のようになります。

文化層別規模別遺物集中地点数

このグラフから、第1文化層~第3文化層の時期は人口が少なく、組織的な狩を実行できるだけのグループ人数が確保できないため、狩遺跡としては臨時キャンプのみが後世に伝わったことが想定できます。
一方、第4文化層~第7文化層の時期は人口増減の消長は激しいものがありますが、それ以前の時期と比べ人口が多くなり、従って組織的計画的な狩が実行できるようになり、狩遺跡として臨時キャンプ跡(規模A、B)と狩施設・獲物加工処理施設跡(規模C、D、E)を後世に伝えたのだと想定します。

このように想定すると、これまで思考してきた狩方法と獲物加工プロセス(動物を崖に追い立て、崖から落とし、谷底で仕留め、そこで解体大分けし、崖直上で肉・骨・皮の加工処理をし、臨時キャンプの近くで皮の最終加工を行った)は第4文化層~第7文化層の時期に該当する特有のものであることがわかります。

従って、第1文化層~第3文化層の時期の狩方法、獲物加工プロセスは別の異なるものとして考えるべきであることに気がつきます。

つづく

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