2014年11月6日木曜日

規模別に見た遺跡分布

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.2旧石器時代の移動路>3.2.13旧石器時代遺跡と地形 事例検討その7 規模別に見た遺跡分布

遺物集中地点の規模区分をして、その石器構成を検討し、規模の大きなものは臨時キャンプ的機能を有し、規模の小さなものは狩の現場出先施設の機能を果たしていると考えるようになりました。

実際にその分布図を作成して規模と地形との関係を見てみました。

次の図は5段階規模別に遺物集中地点をプロットしたものです。

規模別遺物集中地点の分布

この図を規模の大きな遺物集中地点(規模A、B)と規模の小さな遺物集中地点(規模C、D、E)に分けて検討してみました

1 規模A,Bの遺物集中地点分布と意義の検討

規模A,Bの遺物集中地点分布と意義の検討

規模の大きな遺物集中地点の分布は4つに分けて捉えることができると考えました。

ア 狭窄部
狭窄部に1箇所あるところは、この狭窄部が待伏せ猟の場になっていて、その猟に対応した臨時キャンプとして考えました。
狭窄部が待伏せ猟の場になっていたということは次図(規模の小さな遺物集中地点の密集状況)等からいえると考えました。

なお、規模の大きな遺物集中地点は臨時キャンプ的性格が強いのですが、その臨時キャンプは狩の後に設営されたと考えます。
これまでの記事で、最初に臨時キャンプを設営して、それから狩をしたように考えていましたが、遺物集中地点分布図を作成してみると、それが間違っていたことがわかりました。
狩場の中に狩りの前に施設をつくってしまっては狩ができないからです。
臨時キャンプ、及び大半の狩施設は狩が終わった後に獲物の加工処理のために設営されたと考えました。
狩の前に見張り小屋的な施設、動物を誘導する施設はつくったものと考えました。

イ 南向き崖上
南向き崖上にある規模の大きな遺物集中地点は台地で繰り広げられる崖落し猟の臨時キャンプであると考えました。
日当たりと眺望が優れ、水場も崖のすぐ下にありますから、原始人が最も好んだキャンプ場所であったと考えます。
11箇所あります

ウ 台地中央
台地中央にも崖追落し猟の臨時キャンプが11箇所あります。この場所は狩が終わった後、台地の上という居住すべき場所を逸脱することなく、かつ獲物の加工処理場に近いという利点があります。精神性(台地の上、日当たりの良い場所、眺望のよい場所に寝起きすべきであるという好み)と実利性(作業場に近い)が妥協して決まった場所のように感じます。

エ 北向き崖上
3箇所あります。台地から緩斜面を経て斜面の部分であり、かつ北向きですから旧石器時代人の精神性から、そこで寝起きするのは好ましいことではないのだと思います。
例えば、狩が大猟になり過ぎてしまい、キャンプ地と作業場の運搬距離を極限まで縮める必要が生じた場合などに、仕方なくこの場所でキャンプしたのかもしれません。

2 規模C,D、Eの遺物集中地点分布と意義の検討

規模C,D、Eの遺物集中地点分布と意義の検討

規模の小さな遺物集中地点の分布は5つに分けて捉えることができると考えました。

ア 狭窄部
狭窄部には多数の小規模遺物集中地点があります。これは待伏せ猟の狩施設、獲物加工場の後であると考えます。
以前の記事で、この付近の遺物集中地点は狩場を封鎖するための施設と考えました。しかし、より具体的な分布図が出来てみると、台地を単純に封鎖するにしては台地から離れすぎてしまっています。むしろより積極的に捉えて、待伏せ猟としての狩の場として考えることにします。
台地で規模の大きい崖追落し猟が行われたとき、狭窄部に逃げこんだ獣を逃げ場のない地形を利用して狩をした、あるいは最初から狭窄部に獣を追い立てて、狩をしたと考えることができます。

イ 南向き崖直上 2分布域
崖追落し猟の獲物の肉・皮・骨等の加工をおこなった施設(小屋)の跡がこの小規模遺物集中地点であると考えます。この場所で獲物の加工処理をしたということは、獲物の解体は村田川谷底で行ったと考えます。従って、獲物は台地上で仕留めたものです。地形の傾斜やその他の理由から崖追落し猟は北に向かって茂呂谷津の谷壁斜面を使って行われたと考えますが、全ての獣を崖から追い落としたのではなく、台地上でも仕留めたものがあったということが、この2分布域の小規模遺物集中地点の存在から判ります。

ウ 台地中央の北向き緩斜面
台地中央の北向き緩斜面に小規模遺物集中地点が点在しています。この斜面を利用して獣を北方向に追い立て、茂呂谷津谷底の追落した猟が行われ、そのための見張り小屋や動物誘導施設がつくられた跡がこの遺物集中地点だと思います。追って別記事で説明する単独出土石器分布も同様になっています。

エ 北向き崖直上
北向き崖(茂呂谷津南岸谷壁)の直上に多数の小規模遺物集中地点が分布します。これは茂呂谷津谷底に落とした獣の肉・皮・骨等を加工して製品化(保存し使える状態に完成させること)する小屋(施設)があった跡であると考えます。



地形と遺物集中地点分布から上記のような遺物集中地点の意義を考察しました。
今後別記事で単独出土石器の分布、大量出土する礫の分布を考察し、さらにこれらすべての情報を文化層別に分析し直し、最後に全体をとりまとめる予定です。

つづく

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