2014年11月24日月曜日

有明海と大村湾の古代水運路をつなぐ船越

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.4有明海と大村湾の古代水運路をつなぐ船越

長崎県にある、有明海と大村湾の古代水運路をつなぐ船越を紹介します。

有明海と大村湾

次の図は「事典日本古代の道と駅」(木下良、吉川弘文館、2009)掲載の「肥前国(値嘉嶋)の古代交通路」の部分図です。

「肥前国(値嘉嶋)の古代交通路」の部分図 
「事典日本古代の道と駅」(木下良、吉川弘文館、2009)より引用 赤点追記

現在の諫早市に古代陸路の駅として船越駅があり、同時にその場所が水運路の船越であったことがわかる例です。

この場所は大村湾と有明海のそれぞれの低平な平野(有明海側は近世以降の諫早湾干拓)が低い丘陵で間近に接していて、それぞれの平野の河川を遡上した船による水運が短い陸路でつながっているところです。
大村湾水系と有明海水系の分水界付近には地名船越(諫早市小船越町)があります。

諫早船越

上記写真に1900年(明治33年)測量地形図をオーバーレイしてみると、地名船越が有る場所付近が二つの水系を分ける狭小な地峡になっている様子がよくわかります。

諫早船越(旧版20000正式図「諫早」投影)

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