2014年11月17日月曜日

旧石器時代遺跡の文化層別分析 その3

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.2旧石器時代の移動路>3.2.23旧石器時代遺跡と地形 事例検討その17 旧石器時代遺跡の文化層別分析 その3

「千原台ニュータウンⅩ-市原市草刈遺跡(東部地区旧石器時代)-」(平成15年、財団法人千葉県文化財センター)に基づく草刈遺跡事例検討の結果を文化層別(=時代別)にまとめてみます。

情報として、遺物集中地点A、B分布図のヒートマップ(臨時キャンプ想定)、遺物集中地点C、D、E分布図のヒートマップ(狩施設・獲物加工処理施設想定)、礫分布図(多量出土地点〔規模A、B〕は礫を利用した毛皮加工ライン想定)を文化層毎に並べてみました。

1 第1文化層の時代

第1文化層

・出土ローム層 Ⅺ層(武蔵野ローム層最上部) 千葉県最古の旧石器出土
・遺物集中地点数 1 (石器数出土規模C)
・礫出土地点数 なし
・考察 遺物集中地点が1箇所であり、この時代の人口密度が低かったと想定します。遺物集中地点は何世代にもわたって狩の時にだけ使われた臨時キャンプと考えます。遺物集中地点の立地場所が台地東端に位置していることから、この場所を抑えて台地全体を封鎖して、少ない人数で効果的な狩を行ったと推定できます。具体的狩方法は組織的計画的なもの(※)であったと考えますが、捕獲獲物量が少なく第4文化層以降のように規模の小さな遺物集中地点(狩施設・獲物加工処理施設)を残さなかったと考えます。

※第1文化層~第7文化層全ての旧石器時代人の脳は現代人の脳と同一であり、旧石器時代人の言語構造の基本は現代人のものと同一であると考えます。従って、活動に関する組織性、計画性の思考レベルも現代人と同一であったと考えます。

2 第2文化層の時代

第2文化層

・出土ローム層 Ⅹ層(立川ローム層最下部)
・遺物集中地点数 1 (石器数出土規模A)
・礫出土地点数 あり(礫数出土規模E)
・考察 遺物集中地点が1箇所であり、この時代の人口密度が低かったと想定します。遺物集中地点は何世代にもわたって狩の時にだけ使われた臨時キャンプと考えます。遺物集中地点の立地場所が台地中央(狩場の中央)に位置していますることから、狩が全部終わってからこの場所に臨時キャンプを設営するという活動が考えられます。遺物集中地点に炉跡が見つかっており、調理に用いたか、あるいは皮なめしのスモーク工程に用いたか、その双方であるかなどが考えらえます。この時代、少ない人数で効果的な狩を行ったと推定できます。具体的狩方法は組織的計画的なものであったと考えますが、捕獲獲物量が少なく第4文化層以降のように規模の小さな遺物集中地点(狩施設・獲物加工処理施設)を残さなかったと考えます。

3 第3文化層の時代

第3文化層

・出土ローム層 Ⅸc層(立川ローム層第2黒色帯下半部下層)
・遺物集中地点数 2(石器数出土規模A 1、C 1)
・礫出土地点数 1 (石器数出土規模C地点)
・考察 遺物集中地点が2箇所であり、この時代も人口密度が低かったと想定します。遺物集中地点は何世代にもわたって狩の時にだけ使われたものと考えます。2箇所の遺物集中地点がそれぞれ独立した臨時キャンプであるのか、それとも臨時キャンプと出先の狩施設・獲物加工処理施設の関係にあるものか、現段階では不明です。石器数出土規模Aの地点が台地東端に位置していますから、この場所を抑えて台地全体を封鎖して、少ない人数で効果的な狩を行ったと推定できます。具体的狩方法は組織的計画的なものであったと考えます。

4 第4文化層の時代

第4文化層

・出土ローム層 Ⅶ~Ⅸa層(第2黒色帯上半部~第2黒色帯下半部上層)
・遺物集中地点数 40 (石器数出土規模AB 10、CDE 30)
・礫出土地点数 21 (礫数出土規模DE 21)
・考察 規模の大きな遺物集中地点ABが10、規模の小さな遺物集中地点CDEが30出土していて、この時代の人口密度が前時代とくらべ急増したことが推定できます。
遺物集中地点は出自の異なるいろいろなグループが繰り返し狩の時にだけ使った跡だと考えます。
遺物集中地点の分布から、規模ABは臨時キャンプ、規模CDEは狩施設・獲物加工処理施設と考えます。明確に臨時キャンプと出先施設(狩施設・獲物加工処理施設)がセットで出土するのはこの時期からです。このセットはこれ以降続きます。
石器数出土規模ABの地点が集中する場所が台地東端に位置していますから、その立地はこの場所を抑えて台地全体を封鎖したことを意味します。
出先施設と考えるものの分布は谷津谷壁である急崖直上に位置しているものが多くなっています。これは急崖から動物を追落し、谷底で仕留め、解体大分けしたあと、不要物を除いた肉・皮・骨の半製品を急崖直上で加工処理したという仮説を強く支持する情報です。
なお、旧石器時代の谷底はその後の縄文海進で沖積層によって埋没してしまっています。旧石器時代の谷壁急崖はこの付近で現在の倍程度(比高60m~80m程度)あったことが推定されます。
出先施設と考えられるものの分布が狭窄部(図の右下部)に集中していることも特徴です。この時代から狭窄部を利用した待伏せ猟が盛んになったことがわかります。
狭窄部での待伏せ猟と台地東端の臨時キャンプ設置は同時に成立しませんから、狭窄部を含めてこの付近の猟があらかた終わってから臨時キャンプを設置して台地を封鎖し、その後台地西部の狩を続けたことが考えられます。
礫分布は遺物集中地点規模CDEと大体対応していて、礫数はわずかですから、礫は多様な機能を有する道具として利用されていたものと推定できます。

5 第5文化層の時代

第5文化層

・出土ローム層 Ⅵ層(姶良丹沢火山灰層のブロックを含む立川ローム層)
・遺物集中地点数 9 (石器数出土規模AB 3、DE 6)
・礫出土地点数 3 (礫出土規模E 3)
・考察 規模の大きな遺物集中地点ABが3、規模の小さな遺物集中地点CDEが6出土しています。第4文化層の時代と比べて人口が減少したと推定できます。
遺物集中地点は出自の異なるグループが繰り返し狩の時にだけ使った跡だと考えます。
臨時キャンプと出先施設(狩施設・獲物加工処理施設)がセットで出土するのは第4文化層の時代と同じです。
石器数出土規模ABの地点は台地東端に位置するもの(この場所を抑えて台地全体を封鎖したことを意味するもの)と台地中央部に位置するものに分かれます。
出先施設と考えるものの分布はほとんど谷津谷壁である急崖直上に位置しています。
礫分布は遺物集中地点規模CDEと大体対応していて、礫数はわずかですから、礫は多様な機能を有する道具として利用されていたものと推定できます。

6 第6文化層の時代

第6文化層

・出土ローム層 Ⅳ~Ⅴ層
・遺物集中地点数 39 (石器数出土規模AB 9、CDE 30)
・礫出土地点数 21 (礫出土規模B 4、CDE 14)
・考察 規模の大きな遺物集中地点ABが9、規模の小さな遺物集中地点CDEが30出土していて、この時代の人口密度が前時代とくらべ急増したことが推定できます。
遺物集中地点は出自の異なるいろいろなグループが繰り返し狩の時にだけ使った跡だと考えます。
臨時キャンプと出先施設(狩施設・獲物加工処理施設)がセットで出土します。
石器数出土規模ABの地点が集中する場所は台地東端からずれた場所に位置しています。その意味を直接解くことはできませんが、遺物集中地点CDEの集中する場所の中間付近に位置することから、2つの獲物加工処理施設から等距離の場所に臨時キャンプを設置したことが考えれれます。台地東端には獲物加工処理施設の一方があるのですから、それが台地封鎖の役割もしたのだと思います。
礫分布は遺物集中地点規模CDEと大体対応していているのですが、礫数が多い(規模B、平均376.5)地点が初めて出土しています。礫分布の分析からこの場所は毛皮加工の最終工程施設であると推定しました。皮なめしで礫を使う技術がこの第6文化層の時代に発生したと考えます。

7 第7文化層の時代

第7文化層

・出土ローム層 Ⅲ層(立川ローム層の最上部のソフトローム)
・遺物集中地点数 6(石器数出土規模A 1、DE 5)
・礫出土地点数 6(礫出土規模A 1、CDE 5)
・考察 規模の大きな遺物集中地点ABが1、規模の小さな遺物集中地点CDEが5出土しています。第6文化層の時代と比べて人口が減少したと推定できます。
遺物集中地点は出自の異なるグループが繰り返し狩の時にだけ使った跡だと考えます。
臨時キャンプと出先施設(狩施設・獲物加工処理施設)がセットで出土するのは第6文化層の時代と同じです。
石器数出土規模Aの地点は台地東端に位置していて、この場所を抑えて台地全体を封鎖したことを意味しています。
出先施設と考えるものの分布は狭窄部をふくめて全て谷津谷壁である急崖直上に位置しています。
礫は全ての遺物集中地点から出土しますが、礫数が最も多い(規模A、926)地点が出土しています。この場所も第6文化層の礫規模B地点と同じく毛皮加工の最終工程施設であると推定します。皮なめしで礫を使う技術が第6文化層の時代に発生し、第7文化層の時代に伝わり、その施設規模が大きくなったと考えます。

感想を次の記事で書いて、草刈遺跡事例検討を終える予定です。

つづく

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