2015年1月21日水曜日

花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その2 分析の視点

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.44 花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その2 分析の視点

古墳時代の遺跡分布情報と奈良・平安時代遺跡分布情報の2つの遺跡分布情報を用意し、その2つの分布情報から奈良時代に建設されたと考える幹線交通施設「花見川-平戸川船越」の実在性検証に関わるような情報を探せるか、次のような視点で検討してみます。

花見川-平戸川筋の古代遺跡分布分析の視点

この検討で自分の仮説に役立つ情報を得られるかどうか、最初から勝算があると判っているわけではありませんが、とにかく検討してみます。

有用な情報が得られるであろう予感は、次に述べるように、交通インフラと高津馬牧・浮島牛牧の関係がつきそうなので、しています。

分析は、古墳時代と奈良・平安時代の遺跡分布の差分に関わる多数の要因のうち、律令国家支配確立と国家的プロジェクトとしての水運交通インフラ整備が主要なものであると考えて(作業仮説として)2時代の遺跡分布図変化を分析してみます。

古墳時代と奈良・平安時代の遺跡分布の差分は、一般的な地域開発の進展によるものというより、国家的プロジェクトとしての水運交通インフラ整備(花見川河口津、杵隈(船着場)、高津(直轄港湾)、船越部の直線道路、花見川・香取の海・東京湾水運路、浮島駅家、東海道(陸路)等の整備)に伴う国家的意義のある地域開発がメインであったと考えます。
国家的意義のある地域開発がこの地域で行われたという情報は、延喜式に高津馬牧、浮島牛牧が記述されていることで、文字情報として現代にも伝わってきています。

上記視点に基づき、幾つかの分布分析を行い、その結果を順次ブログ記事にしたいと考えています。

この検討のなかで、重要性の高い遺跡の目星をつけることはできると思います。その情報は遺跡文献閲覧調査に活かしたいと考えています。

なお、寄り道として、古代社会(古墳時代~奈良・平安時代)の様子に関する基礎知識を得るための分析も、気がつき次第、随時行います。

例えば、古墳時代遺跡分布図を「遺構としての古墳分布図」と「古墳以外遺構・遺物分布図」に分け、遺構としての古墳と最短距離にある古墳以外遺構・遺物との距離を測定して、古墳が集落からどの程度離れていたかを推測してみるなどです。

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