2015年1月30日金曜日

位置決定要因別に見た古墳タイプ

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.53 位置決定要因別に見た古墳タイプ

花見川・浜田川流域について、位置決定要因別に古墳タイプを分類してみました。

1 花見川・浜田川流域の古墳と水田可能谷津

花見川・浜田川流域について、古墳名称と水田開発可能谷津名称を書きこんでみました。

花見川・浜田川流域の古墳と水田開発可能谷津

2 東鉄砲塚古墳群が対応する支配領域

東鉄砲塚古墳群(前方後円墳1基、円墳5基)が対応する支配領域は次に示す通り、花見川・浜田川流域全体であると考えました。

東鉄砲塚古墳群が対応する支配領域

3 下位ランク古墳(円墳)と水田開発可能谷津との対応

下位ランク古墳(円墳)と水田開発可能谷津との対応は次のように把握することができます。

古墳と水田開発可能谷津との対応

4 位置決定要因別に見た古墳タイプ
古墳と対応支配領域・対応水田開発可能谷津の関係から、次のような古墳の位置決定要因が浮かび上がり、個々の古墳のタイプを求めることができます。

古墳の位置決定要因
A 領域確定タイプ
B 河口眺望タイプ
C 居住地周辺タイプ
D 海岸低位タイプ

位置決定要因別に見た古墳タイプ

A 領域確定タイプは近隣競合グループとの境界を確定するために、支配領域最外縁部に古墳を設置したと考える、最も政治性の高い位置決定要因です。
東鉄砲塚古墳群と双子塚遺跡が該当します。

東鉄砲塚古墳群は花見川・浜田川グループ支配領域の西側最外縁部に設置して、田喜野井川流域を支配するグループとの間の境界を確定させる機能を有しているものと考えます。

前方後円墳である鷺沼古墳(A号墳)とにらみ合うような近接する位置に設置されています。

東鉄砲塚古墳群の領域確定機能

同じように、二つの前方後円墳が近接してにらみ合うような例として、印旛浦北岸の船尾町田遺跡と西ノ原第3号墳の例があります。(2015.01.26記事「古墳の階層性に関する予察」の中の図「古墳密集地の分布」参照。2つの古墳が異様に接近している様子は2015.01.27記事「前方後円墳分布の把握」の中の図「暫定調査範囲周辺の前方後円墳分布」で確かめることができます。)

双子塚遺跡は花見川上流の水田開発可能地に対応する小首長の古墳と考えますが、花見川源頭部に設置されていて、高台南古墳に対応する平戸川上流域支配グループとの間の境界を確定させたものだと考えます。

双子塚遺跡付近は花見川源頭部であり、同時に平戸川筋につながる空川(古柏井川)との間での谷中分水界を成しています。また台地面も花見川流域は下総上位面、古柏井川流域は下総下位面となっていて小崖で境されています。

古墳時代の双子塚付近の地形

なお、このような政治性の強い古墳設置場所選定は花見川上流の(おそらく柏井付近の)小首長が独自に発案したものというよりも、流域全体の支配者である東鉄砲塚古墳群に対応する首長の流域支配・経営戦略の一環であると考えます。

古墳時代にあっては縄文時代・弥生時代から引き続き花見川-平戸川筋の交通が盛んであり、東鉄砲塚古墳群に対応する流域首長は花見川上流部の交通機能の重要性を意識して、地元小首長の円墳を花見川源頭部につくらせ、自らの支配領域を確実に確保したのだと思います。

B 河口眺望タイプは水田開発可能谷津が流入する花見川本川谷津(=海に近い状態、水田は無い)を眺望できる場所に古墳を設置する例です。
子安古墳群、殿山遺跡、武石古墳、大小塚古墳群、椎崎古墳が該当します。

C 居住地周辺タイプは水田開発可能谷津の中流部の居住地近く古墳を設置する例です。
大山古墳、陣屋台古墳群、鉄砲塚古墳が該当します。

D 海岸低地タイプは海に関わるグループが海岸に古墳を設置する例ですが、社会階層上の制約から台地上に古墳を設置できないため台地下の低地に古墳を設置した例です。
愛宕山古墳が該当します。

愛宕山古墳の位置は検見川台地の先端部に位置していて、花見川河口津に出入りする船は必ずその前を通航することになりますから、漁業関係者、海運関係者等海に関わりのある人々にとっては重要な位置を占めています。(現在は花見川河川改修のため台地と古墳が分断されてしまっています。)

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