1 古墳時代遺跡と地形との関係に関する見込み違い作業
次のような「見込み」が脳裏に浮かびました。
・古墳時代遺跡分布図を見ると、台地面ではなく、台地縁にへばりついている1段低い河岸段丘(いわゆる千葉段丘)面に遺跡があるようだ。
例えば福寿院遺跡である。この付近は近世以降の集落は河岸段丘にあるから、福寿院遺跡も河岸段丘面にある可能性が濃厚である。
そして福寿院遺跡からは土錘がでている。だから、漁業を生業とした古代人は台地面ではなく、1段低い河岸段丘に居住し、それは近世以降の集落の始源と考えることができるかもしれない。
要するに、古墳時代遺跡には台地面にあるものと、河岸段丘面にあるものがあり、遺跡の意義が異なるかもしれないという興味が湧いたのです。
GISソフトの地図太郎PLUSでは5mメッシュを背景地図として開いておくと、遺跡ポイントにカーソルを当てるとその標高がわかります。
地図太郎PLUSで遺跡ポイントの標高がわかる様子
この機能を利用して花見川・浜田川流域の古墳時代遺跡全部の標高を求め、その中から河岸段丘面や沖積地に立地する遺跡を抽出して、上記見込みについて検討を深めようとしました。
結果は次に示すように、作業をすると見込違いであったことがわかりました。
見込み違い作業
2 福寿院遺跡精査の確認
この作業後、近くの図書館で福寿院遺跡の発掘報告書を借りることができました。
この報告書から次の事実を把握することができました。
遺跡は標高24mの台地上にあり、遺構は古墳時代後期に比定される竪穴住居跡2軒と縄文時代土壙1基が出土した。
古墳時代遺物は全部で15点と少量であり、その中に土錘1点、土玉1点が含まれる。
福寿院遺跡発掘状況と出土物
「福寿院遺跡」(1994、宗教法人福寿院・財団法人千葉市文化財調査協会)より引用・書き込み
自分の見込み違いを発掘報告書で確かめることができました。
3 見込み違い作業から判った重要情報
作業は自分の見込み違いをあらわにしましたが、結果として貴重で重要な情報を得たことに気がつきました。
●見込み違い作業から判った重要情報
花見川・浜田川流域の古墳時代遺跡は方墳1基を除くと全て台地面上に立地していて、河岸段丘上や沖積地に立地するものは存在しない。
古墳時代遺跡と地形との関係の特性を把握できたことに気がついたのです。
その特性は自分が見込んでいなかったものです。
その特性は、古墳時代人が漁業するにしても、わざわざ標高の高い台地面に住居を構えたということを示しています。
それは、居を構える場所選定において、漁業活動をより合理的に行う(水面に近い河岸段丘上に居を構える)ということ以上に、より強く台地上に古代人を誘う要因が働いていたことを意味します。
漁業以上に重要な生業活動が台地面上で行われていたことを暗示します。
見込み違い作業から判った重要情報(古墳時代人は台地面上に好んで集落を営んだ)から展開できる思考を次の記事で詳しく書きます。
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