2015年2月6日金曜日

鍛冶遺跡「杉葉見」の意味及び妙見社との対応

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.58 鍛冶遺跡「杉葉見」の意味及び妙見社との対応

2015.02.05記事「花見川流域の古墳時代製鉄関連遺跡」で花見川流域の製鉄関連遺跡として杉葉見遺跡の紹介をしました。

気になる遺跡ですから、少し予備的な考察を行いました。

1 遺跡所在小字「杉葉見」(すぎはみ)の意味
WEBで次のような情報を見つけました。

「鉄山秘書」に「一に粉鉄(砂鉄)、二に木山、三に元釜土」とたたら操業の重要度を書いてありますが、木炭は砂鉄に次いで重要な材料でした。砂鉄が良くても炭が悪ければ鉄は涌かず、砂鉄が多少悪くても炭が良ければ鉄が涌くとしたものでした。
一般使用の木炭は、高温度(約1000℃)で焼いた堅い白炭、低温度(400~800℃)で焼いた軟らかい黒炭、それに消炭に分けられますが、たたらで用いる炭は少し違っていました。たたらでは炉で鉄を製錬するのに用いる炭を大炭、鍛冶に用いる炭を小炭といいます。 大炭は黒炭に似た方法でつくりますが、焼く温度がさらに低く、半蒸のものが多く、炭としての質は劣悪なものです。それは固定炭素が少なく(60%以下)、揮発分が多い(30%以上)方が、火力を上げるのに都合が良かったからです。「鉄山秘書」によれば大炭には松、栗、槙、ブナが良く、しで、こぶし、桜は悪く、椎、サルスべリは最悪としています。そのほかクヌギ、楢、雑木も良く使われています。 小炭としては松、栗、栃、杉は至極上々で、しで、椎、槙、樫(かし)、橿(もちのき)は良くないとされました。小炭の焼き方は地面を掘り込んだ凹地に木を積み、火をつけ、燃え尽きんとする時に柴木、笹や土を打ちかけて蒸し焼きしました。小炭の場合、生木からの歩留は約10%、大炭の場合は約20%です。
日立金属ホームページ「たたらの歴史」より引用

この情報によれば、杉の炭は鍛冶に用いる炭として至極上々です。

ですから、鍛冶施設があった場所の地名「杉葉見」(すぎはみ)は「杉食み」(すぎはみ)であると考えます。

多量の杉材を炭にして消費してしまう鍛冶の姿を表現しているのだと考えます。

小字「杉葉見」等の場所
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)より引用、書き込み

2 小字地名神場(かんば)の意味
杉葉見遺跡が所在する谷津の河口部に神場(かんば)という地名があります。

神場(かんば)は金場(かなば)=鍛冶場と考えます。
その上流に金場(かなば)=鍛冶場があるので、その谷津の入り口に神場(かんば)という標識となる地名がついたのだと思います。

3 鍛冶場と妙見社との対応
子安神社には境内社として明見社があり、妙見社として位置付けられています。(丸井敬司「房総地方の妙見信仰と製鉄・鍛冶について」2005、千葉市立郷土博物館紀要第11号)

この妙見社と杉葉見遺跡が対応していると考えます。

杉葉見遺跡(鍛冶場)にかかわる人々の金山神が妙見社(現在の子安神社)であったと考えます。

この思考は、子安神社(妙見社)と杉葉見遺跡を結ぶ道路沿いに小字名「妙見道」があることで補強されます。

4 鍛冶場を担った人々秦氏
鍛冶場を担った専門家集団(妙見信仰していた金山師たち)の母集団は畑集落に居住した人々であり、渡来人秦氏に出自を持つ人々であるという可能性を感じます。

5 予備考察まとめ
以上の予備考察を地図にまとめました。

予備考察まとめ
基図は「旧版1万分の1地形図(大正6年測量)+地形段彩図(現代地形)のオーバーレイ図」

予備考察まとめ
基図は「標準地図」

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