花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.71 上ノ台遺跡 紡錘車出土と機織り
古墳時代上ノ台遺跡から紡錘車16個が16軒の住居趾から出土しています。
紡錘車は繊維をねじってヨリを付けて糸をつくる道具(紡錘、つむ、spindle)の回転力をつけるための錘部分です。
この道具が出土するということは、①近くの台地で麻類を栽培して、その繊維を採っていた、②桑を植えてカイコを飼い繭を生産していた、③その双方を行っていたという3つの可能性のどれかが行われていたということです。
また、繊維から糸をつくるだけでなく機織りをして布をつくっていたこともほぼ確実だと考えます。
上ノ台遺跡の紡錘車出土住居趾
上ノ台遺跡出土紡錘車の例
「千葉・上ノ台遺跡本文編2」(1982、千葉市教育委員会)、「千葉・上ノ台遺跡図版編2」(1983、千葉市教育委員会)から引用
機織りは上ノ台遺跡において稼ぐ力のある仕事(産業)であったと考えます。
その考えは紡錘車出土住居趾が全住居趾と比べて玉類・装身具・滑石製品出土の割合が高いことから裏付けられます。
玉類・装身具・滑石製品出土住居趾分布と紡錘車出土住居趾分布のオーバーレイ図
玉類・装身具・滑石製品出土住居趾の割合
全住居趾より紡錘車出土住居趾の方が玉類等出土割合が2倍以上となっています。
なお、玉類・装身具・滑石製品出土住居趾にはその生産者が含まれていますので、念のため未製品だけを出土する住居趾を対象から除外して、その割合を求めてみました。
未製品を除いた玉類・装身具・滑石製品出土住居趾の割合
より厳密に統計をとっても紡錘車出土住居趾は全住居趾と比べて玉類等の出土が多いことがわかりました。
つまり、紡錘車を使って麻糸あるいは生糸を撚り、それを使って麻織物あるいは絹織物を織っていた住居(家族)は豊かで富を持ち、集落の中で上層階層に位置していたと考えられます。
紡錘車もまた金属製品と同じく古墳時代の先端ハイテクツールであったのです。
なお、金属製品出土住居趾分布と紡錘車出土住居趾分布をオーバーレイすると興味深い事実が浮かび上がりました。
金属製品出土住居趾分布と紡錘車出土住居趾分布のオーバーレイ図
金属製品出土住居趾(38軒)と紡錘車出土住居趾(16軒)が重なる場合がたった2軒しかないのです。
グラフで表すと、住居趾全体を母数とした時と紡錘車出土住居趾を母数とした時のそれぞれの金属製品出土住居趾の割合がほとんど同じということです。
金属製品出土住居趾の割合
つまり、それぞれが生産を効率化する先端ハイテクツールであった金属製品出土と紡錘車出土が相関していないことを示しています。
この情報から次の思考を導くことができます。
● 金属製品(刀子、鎌、鉄斧、鏃、摘鎌、釘、釣針等)を使う場面は主に野外であり、動的な肉体作業を伴う労働で使うものです。一方紡錘車を使う場面は住居内やその近くであり、肉体作業としては静的な労働で使うものです。
そしてその二つの製品が随伴して出土する傾向が存在しないということは、二つの労働自体が住居(家族)単位で明瞭に分離していたことを示しています。
つまり集落内における労働種別専業化が高度に進んでいたことが証明されます。
●この労働種別専業化はおそらく、金属製品をつかった野外労働内でも存在していたと考えます。つまり、米栽培、雑穀栽培、麻や桑栽培、牧畜などです。また滑石模造品作製、鍛冶、鍛冶の為の炭焼き、土器生産なども当然ながら専業化していたと考えます 。
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