2015年2月14日土曜日

上ノ台遺跡から出土した古墳時代牛骨の重要意義

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.64 上ノ台遺跡から出土した古墳時代牛骨の重要意義

上ノ台遺跡から古墳時代牛骨が出土していますので、その重要な意義を検討します。

上ノ台遺跡から古墳時代牛骨が出土しているという情報は「千葉県の歴史 資料編 考古2(弥生・古墳時代)」における上ノ台遺跡紹介等、現在この遺跡について触れることのできる情報には、鍛冶遺跡と同様に欠落していて、忘れ去られている情報です。

1 上ノ台遺跡における骨類出土状況
上ノ台遺跡から出土した骨類一覧表及び写真を示します。

上ノ台遺跡出土骨類一覧表 「千葉・上ノ台遺跡3」(1982、千葉市教育委員会)より引用

牛骨は住居床面から出土していて、古墳時代遺物であることが層位的に確かめられています。

上ノ台遺跡出土の獣骨
「千葉・上ノ台遺跡(付篇)」(1981、千葉市教育委員会)より引用、追記

獣骨として鹿、馬、牛が出土しています。

この獣骨について「千葉・上ノ台遺跡(付篇)」(1981、千葉市教育委員会)では次のように分析しています。

・鹿は狩猟で捕獲されたもの。
・馬は家畜として飼養されたもので、時代は中世より近世に及ぶある時期のもの。
・牛は家畜として飼養されたもので、古墳時代後期7世紀代のものと考えられる。馬にくらべて出土例が少なく貴重な資料。厳密な出土状況のもとに報告された例は極めて少ない。
・住居内から馬・牛の遺骸出土は、その宗教的な意義を充分に考慮しなければならない。
・牛の場合は農耕に関わる儀礼が最も蓋然性を以って考え得る。

2 上ノ台遺跡出土の古墳時代牛骨の意義
古墳時代後期7世紀代に上ノ台遺跡付近で牛が飼養され、牛に関わる宗教的儀礼が住居内で営まれていたことがわかりました。

一方、延喜式に官牧として下総国に「浮島牛牧」が記載されています。

この浮島牛牧の位置は次の図に示すように上ノ台遺跡に隣接する砂丘(浮島)に推定しています。

浮島牛牧の推定場所

つまり、古墳時代に、既に牧畜の繁栄を願う宗教儀礼が行われるほど規模が大きく継続した牧(牧場)が存在し、その牧が奈良・平安時代になると官牧「浮島牛牧」として位置付けられたと考えることができます。

つまり、上ノ台遺跡出土牛骨は、浮島牛牧の始源牧存在の動かしがたい物証です。

ひいては、浮島牛牧が砂丘(浮島)に存在していたことの有力物証であるということもできます。

上ノ台遺跡の考古情報から文字情報として伝わってきている浮島牛牧の位置が確定したことになります。

上ノ台遺跡出土牛骨はまことに重要な意義を有しているのです。

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【参考】 「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)における浮島牛牧に関する記述

浮島(うきしま)牛牧

浮島駅家との関係が考えられ、千葉市花見川幕張町と推定される。このほか、東京都墨田区牛島付近とする説もある。
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なお、「千葉・上ノ台遺跡(付篇)」(1981、千葉市教育委員会)では牛骨について動物学的検討(古代牛と現代牛の比較など)が行われていますが、浮島牛牧あるいは牧一般との関連についての考察はありません。

「千葉・上ノ台遺跡(付篇)」(1981、千葉市教育委員会)が発行されてから35年間にわたり、牛骨出土情報が浮島牛牧と結びつかなかった理由は、上ノ台遺跡の膨大な情報を最初に要約した資料に牛骨出土情報が欠落したため、以後考古歴史家が考察する機会が生れなかったのだと思います。

このブログで実施しだした花見川-平戸川筋古代遺跡に関する文献悉皆閲覧活動から、成果が少しずつ生れ出しました。(2015.01.18記事「遺跡文献の悉皆閲覧計画」参照)

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