2015年3月16日月曜日

検見川台地上の砂丘分布と未発見古墳の可能性

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.88 検見川台地上の砂丘分布と未発見古墳の可能性

検見川台地上の砂丘分布の資料を紹介します。

次の地形分類図は「千葉・上ノ台遺跡 付篇」(1983、千葉市教育委員会)に収録されている「上ノ台遺跡付近の自然地理」(山口一俊・根本直樹)より引用した地形分類図です。

上ノ台遺跡周辺の地形分類
「千葉・上ノ台遺跡 付篇」(1983、千葉市教育委員会)より引用

この図で砂丘は水玉模様で表現されています。
検見川台地は下総下位面と呼ばれる地形面ですが、この図からその海側部分の大半が砂丘砂で覆われれていることを示しています。

この図をそのままGISにプロットして、検見川台地の5遺跡と一緒に表現するとつぎのようになります。

検見川台地における砂丘の分布と古代遺跡の位置

直道遺跡、横塚遺跡、大塚遺跡、居寒台遺跡のJ区、K区は砂丘の砂の下から出土しています。

「千葉市直道遺跡」(1995、財団法人千葉市文化財調査協会)では次のように記述しています。

「この調査区付近には、風成によると思われる砂層が50㎝程度堆積しており、旧表土以下に及ぶ耕作などによる攪乱は少なく、遺構の遺存状態は良好であった。発掘調査の方法は、1次・2次とも重機により砂層及び旧表土を除去し、その後人力により遺構確認の清掃および遺構掘り下げを行った。」

つまり、砂丘は古墳・奈良・平安時代以降の中世から近世にかけて形成されたものであることがわかります。

この事実から、もし台地上に古墳があるとすればそれも砂層に覆われていることが判ります。

風で運ばれた砂が円墳の回りに堆積すれば、風下側では砂が厚く堆積してしまい、円墳状の特徴が失われた滑らかな凸地形ができるので、古墳の存在は見つけにくくなります。

次の図は上記地形分類図に旧版1万分の1地形図を重ねたものです。

地形分類図と旧版1万分の1地形図のオーバーレイ図

水玉模様の砂丘部分に等高線で表現される凸地形があることがわかります。

旧版1万分の1地形図だけにすると次のようになります。

旧版1万分1地形図
(大正6年測量)

現在のところ、この凸地形が砂丘砂で修飾された古墳である可能性を否定できる情報を所持していません。

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