2015年3月4日水曜日

上ノ台遺跡 支配統治機能に関する仮想

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.77 上ノ台遺跡 支配統治機能に関する仮想

上ノ台遺跡の住居趾321軒は、同時にその数分の1程度が存在したと想定しても花見川流域付近では古墳時代遺跡としては巨大なものであると考えて間違いないと思います。
従って、遺跡の巨大さだけをもってしても、この遺跡に近隣地域を支配統治した機能が備わっていたと考えることができます。

さらに、上ノ台遺跡と対応する古墳が東鉄砲塚古墳群の前方後円墳であり、古墳形式から社会階層秩序をイメージするとなおさら上ノ台遺跡の支配統治機能が浮かび上がります。

古墳からみた社会階層イメージ
古墳形式からみて、花見川・浜田川流域が、東鉄砲塚古墳群(のなかの前方後円墳)を頂点とする社会階層秩序圏域に対応すると考えるイメージ。

以上から、上ノ台遺跡が花見川・浜田川流域を支配する小首長が居住するいわば首都みたいな集落であり、この集落に花見川・浜田川流域を支配統治する機能が備わっていたと考えることは当然であると考えました。

一方、「千葉・上ノ台遺跡(本文編1、2、3、図版編1、2、付篇)」(千葉市教育委員会)合計6冊を4週間にわたり自宅で熱心に閲覧して、その中に支配統治機能に関連付けた記述は存在しないことを確認しました。

一度は支配統治機能の物的証拠は上ノ台遺跡報告書には記載されていないから、現段階では情報はありませんとまとめの記事に書くつもりでした。

しかし、「情報はありませんでした」と記述しようとして、本当にそうかと、意識を集中してみると、報告書の中に支配統治機能の物的証拠になり得る有力情報が存在していることに、ハタと気がつきました。

そこで、以下に上ノ台遺跡から発掘された遺構のうち支配統治機能に関連するかもしれないと考えるものについて、その仮想をメモします。

1 掘立柱建物址の支配統治機能に関する仮想
掘立柱建物址に関して、「千葉・上ノ台遺跡(本文編1)」(千葉市教育委員会)では次のようにまとめています。
「掘立柱建物址は6例(※)認められた。規模はさまざまで、柱間3間のものが最小、大きいものは5間である。方向は住居址の方位とほぼ一致するものが多い。時期的には、竪穴住居址関連のローム層によって埋められているものがあり、比較的古いもの、つまり、集落の前半期に属するものが主体となるようである。
構造的にみると総柱のもの2例、側柱例だけのもの2例、側柱を2列廻して間柱をもたないもの1例である。」
※報告書には5例の情報だけが掲載されているので、錯誤等であると考えます。

掘立柱建物址の分布は次の通りです。

掘立柱建物址・柱穴群・小竪穴遺構の分布

掘立柱建物址は低地から台地ののぼる道路遺構の近くで、かつ遺跡(集落)中央付近に分布します。また掘立柱建物址分布に囲まれた区域の住居址分布が疎であり、広場的空間があったような印象を受けます。

このような分布を一つの手がかりにして、次のように仮想します。

●掘立柱建物址の支配統治機能に関する仮想
・掘立柱建物址は集落の倉庫であると仮想します。
・倉庫に蓄える物品は集落が行う交易に関わるものや備蓄品であり、支配統治者が交易等を主導し、倉庫の管理権も持っていたと仮想します。

集落規模に対して倉庫を仮想する掘立柱建物址の面積が、類似遺跡例に対して大きいのか、小さいのか、残念ながら情報を持っていません。今後他遺跡事例と比較できるように情報を集めたいと思います。

2 柱穴群の支配統治機能に関する仮想
柱穴群に関して、「千葉・上ノ台遺跡(本文編1)」(千葉市教育委員会)では次のようにまとめています。
「柱穴群と呼んでいるものは、掘立柱群でありながら、1軒の掘立柱建物址としてまとめて理解することのできないグループをあつかっている。4群(※)認められるが、各々個性があり、建物址になるのか柵列になるのか、今のところはっきりしない。」
※報告書には3例の情報だけが掲載されているので、錯誤等であると考えます。

柱穴群の分布は上図の通りです。

柱穴群は遺跡(集落)のある台地が東側につきだしている場所、台地縁に分布してます。この場所は東京湾、牛牧が拡がる砂丘、砂丘を取り囲む検見川と武石の台地、さらに浜田川谷津とその台地を一望できます。

このような特性を手がかりにして、次のように仮想します。

●柱穴群の支配統治機能に関する仮想
・柱穴群は支配地域主部を監視する望楼址であると仮想します。
・望楼は1時期に1基存在したと考えます。

別記事で、柱穴群を望楼と見立て、そこから見える土地範囲図(可視域分布図)と立体風景図をKashmir3Dで作成し、掲載します。

参考 上ノ台遺跡付近の地形3D図
地理院地図3Dに基づいて作成

3 小竪穴遺構の支配統治機能に関する仮想
小竪穴遺構に関して、、「千葉・上ノ台遺跡(本文編1)」(千葉市教育委員会)では次のようにまとめています。
「小竪穴遺構は、直径2m前後の隅丸方形または、円形に近いものである。ローム層の掘り込んだ小さな竪穴状のものである。一般的には住居址に切られていることから住居址より古いものであろう。性格は、はっきりしない。出土遺物は、焼土と土師器小片である。本遺跡からは5例検出された。これもやや古手の土師器を出す竪穴住居址に切られている。」

小竪穴遺構の形状例
「千葉・上ノ台遺跡(本文編3)」(千葉市教育委員会)より引用

小竪穴遺構の分布は上図の通りです。

小竪穴遺構は柱穴群の傍に分布し、かつ焼土が出るという特性があります。

この特性から、次のように仮想します。

●小竪穴遺構の支配統治機能に関する仮想
・小竪穴遺構は狼煙(のろし)通信施設であると仮想します。
・小竪穴遺構は1時期に複数(恐らく2基)存在していて、情報量が多い狼煙(のろし)通信を行っていたと考えます。(小竪穴遺構がペアで分布しているように見えることから。)
・柱穴群(支配地域主部の監視用望楼)と小竪穴遺構(狼煙通信施設)は連動して運営されていたと考えます。

小竪穴遺構を狼煙通信施設と見立てると、類似施設(狼煙通信施設)が必ず検見川台地、武石台地に存在していたはずです。そうでなければ相互通信が成り立ちません。
今後検見川台地の遺跡(直道、居寒台、玄蕃所等)や武石遺跡等の発掘調査報告書を悉皆閲覧していきますが、見落とされている狼煙通信施設がみつかるかどうか、楽しみが増えました。

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