2015年3月29日日曜日

古墳築造時の構造物法線(現場指示地割線)が出土したという事実を知る

このブログの近時のテーマ(花見川筋=古代東海道水運支路)と関係ありませんが、直道遺跡出土銙帯閲覧の際に対応していただいた千葉市埋蔵文化財調査センターの研究員の方から聞いた興味深い情報を紹介します。

当方から質問して、銙帯や直道遺跡や古代建造物等について、研究員の方からいろいろな話を聞いている中で、「千葉市の人形塚古墳からその設計図に該当する遺構が見つかっている。」という話をポロリと聞きました。

趣味心として、本来テーマを離れて強烈に興味が湧いたのですが、訪問主目的である銙帯・直道遺跡・古代建造物等の情報収集を優先させる関係から詳しい質問は差し控えました。

自宅に帰って、教えていただいた「千葉県の歴史 資料編 考古2(弥生・古墳時代)」を探すと、事例「219 生実・椎名崎遺跡群」に人形塚古墳の築造時構造物法線(現場指示地割線)遺構の写真が掲載されていました。

またWEB検索して「笹生衛(1987):椎名崎古墳群・人形塚古墳発掘調査概要-人形塚古墳旧地表面上の地割線について-、千葉県文化財センター研究連絡誌第19号」という論文も読むことができました。

以下、古墳時代の古墳築造時構造物法線(現場指示地割線)そのものが出土したという興味ある事実を上記資料を引用して紹介します。

1 人形塚古墳の概要
・村田川下流北岸台地上に形成された椎名崎古墳群中の前方後円墳で、明治年間に武人埴輪が出土しています。
・1986年度に発掘が行われ、顎ひげのある人物埴輪など多数の埴輪が出土しています。埋葬施設は2基あり、銀装飾り太刀1振りを含む14振りの太刀・50本以上の鉄鏃・玉類などが出土しています。
・墳丘の形態は二段築成の前方後円墳で、墳丘全長41m、後円部径25m、前方部幅30m、後円部高2.8m、前方部高3.2mで長方形の二重周溝を巡らしています。

人形塚古墳の位置

2 旧地表面上の地割線の出土
・古墳墳丘下の旧地表面から幅約20cm、深さ3~7cmの断面「U」字形の溝状遺構が検出されました。
・溝状遺構の覆土と墳丘盛土最下層の土を分別することはできなかったので、地割線溝は墳丘盛土工事中に盛土によって埋められたことを示しています。

次の空中写真は、古墳全景と検出された溝状遺構に石灰を撒いて撮った溝状遺構写真です。

人形塚古墳全景と墳丘下旧地表面の溝状遺構
人形塚古墳全景は「千葉県の歴史 資料編 考古2(弥生・古墳時代)」(千葉県発行)から引用
溝状遺構は「平成20年度出土遺物巡回展 房総発掘ものがたり-おゆみ野編-」(財団法人千葉県教育振興財団)から引用

3 墳丘平面図と地割線平面形との比較
① 後円部における径14mの正円をなす地割線は後円部上段墳丘径と一致する。
② 両側のくびれ部を結ぶように引かれた弧状の線は、後円部下段墳丘の外周線と一致する。そして、その弧から中心を求め、円を復元すると、内側の径14mの正円と同心で径25mのほぼ正円となる。
③ 前方部両側面にそって走る直線状の地割線は前方部上段墳丘の上端部稜線と一致する。

4 古墳築造工事で果たした地割線の機能
地割線の果たした機能は次のように考えられます。
・内側の径14mの円は後円部上段墳丘の版築盛土範囲を指示する。
・外側の径25mの円は後円部下段墳丘径及び後円部周溝の堀込範囲を指示している。
・前方部における直線もしくは弧状を呈する地割線についても、後円部内側の円形のものと同様に、前方部上段墳丘の盛土作業と密接な関係にあることは間違いないと思われる。
・後円部における地割線のあり方から考えて、前方部側面や前方部幅の設定、長方形二重周溝の堀込についても、墳丘下に見られたような地割線によったと推定でき、それは周溝の堀込作業中に消滅したと推測される。

このような既存文献における検討から、地割線は盛土範囲や周溝堀込範囲の現場における正確な指示線であり、土木構造物法線の地表面投影線であると考えることができます。

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(詳細資料を入手したところ、この考察は間違っていました。正しくはブログ番外編2015.05.15記事「千葉市人形塚古墳から出土した構造物法線」をご覧ください。2015.05.15追記)

【考察】
古墳の形態を示す詳細な平面図と地割線平面図を重ねた情報を見ていないので、正確なことは言えませんが、写真を見る限り、地割線は古墳断面形状における「法尻(のりじり)」ではなく「法肩(のりかた)」を示しているようです。


地割線は断面上の法肩を表現しているように見える

もしそうだとすると、「法肩」線を示すことにより、その線を基準に所定の断面形により盛土・掘削等の工事を進めたことになります。

地割線が「法肩」線を表現するということならば、現在の堤防工事などにおいて主要法線を法肩線とするという考え方と同じです。

そうならば、古墳時代における古墳施行(土木施工)のための構造物認識方法の基本が、現在の堤防建設と同じであることが判明します。

古墳施行技術と治水技術が同根であるということが遺構面から証明される貴重な事例(初めての事例)になる可能性があります。

土木技術史的にみて大変興味深いことであると考えます。

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