2015年3月19日木曜日

検見川台地から銙帯具出土を知る

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.91 検見川台地から銙帯具出土を知る

別の調べ事で「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)をペラペラ見ていたら、直道遺跡出土の馬具と考えた出土物と同じ製品を「(4)官人と銙帯」(第5節奈良・平安時代2遺物)の項でたまたま目にしました。

よく見ると銙帯具実測図になんと直道遺跡出土物も出ていました。
直道遺跡からは2つの銙帯(かたい)出土がリストアップされ、紹介されています。

これまでこのブログで馬具と考えていた製品が銙帯具という製品であることを知りましたので、訂正して報告します。(2015.03.10記事「検見川台地の馬関連古代遺跡」参照)

次に直道遺跡出土銙帯具と別遺跡から出土した類似製品を並べて表示します。

直道遺跡出土銙帯具と他遺跡出土類似銙帯具
(2015.03.29追記 図中で元資料の誤指摘)

鉸具(かこ)は尾錠止め(ピンバックル)、丸鞆(まるとも)はベルトに付けた飾具。

銙帯の説明
金・銀・玉・石の装飾板(銙)や垂飾を革帯または布帯にとりつけ,尾錠で締める腰帯の総称。本来は中央アジアや北方胡族の間に行われた服飾具であった。六朝の頃に中国に伝わり,動物や植物文様を透し彫した銙板を装着したものが盛行する。隋・唐時代には官人,貴族の服制として整い,品級や位階によって玉・金・銀・銅・鉄の5種の銙が定められた。日本では古墳時代の4世紀末に,竜文・心葉文をあしらった金銅製銙帯があらわれる。奈良時代には唐制にならって方形(巡方〘じゆんぽう〙)と半円形(丸鞆〘まるとも〙)の銙を組み合わせた革帯が官人の服制に採用され,五位以上は金・銀帯,六位以下は銅の銙に黒漆を塗った烏油帯〘くろつくりのおび〙が行われた。なお,六位以下の下級官人用の銅銙帯は銙の大・小で官位をあらわしたらしい。平安初期には石製銙(▶石帯〘せきたい〙)に変わり,高級貴族は玉・瑪瑙〘めのう〙・水晶をはじめ,犀角・玳瑁〘たいまい〙などの銙を用い,次第に華美な装身具へと変わってゆく。
『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズ

銙帯は奈良時代官人の服制ですから、銙帯出土により直道遺跡に奈良時代官人が居住していたことが判明しました。つまり直道遺跡が一般集落というよりも地域支配の拠点であったことが確かめられたことになります。

直道遺跡からの銙帯出土は、直道遺跡が東海道浮島駅家と花見川河口津(東京湾-花見川-平戸川-印旛浦-香取海水運路の拠点)や浮島牛牧を抱える律令国家の戦略要衝であったことに対応していることとして理解することができます。

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