2017年2月21日火曜日

千葉県の貝塚学習 Ⅳ期貝塚集落崩壊の理由 その2

2017.02.18記事「千葉県の貝塚学習 Ⅳ期貝塚集落崩壊の理由」で、ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊 上下」(草思社文庫)を読んで、社会の崩壊を招く要因が5つあることを学習しました。

●社会の崩壊を招く5つの要因
1 人が環境に与えた損傷(環境破壊)
2 気候変動
3 近隣の敵対集団
4 近隣の友好集団
5 さまざまな問題への社会の対応

この記事を書いた時点ではまだⅣ期貝塚集落が「すべて消滅したものとみられる」理由推測は判然としたものではありませんでした。

次いで、2017.02.20記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代後期前葉~中葉」を書き、そのなかでⅣ期とⅤ・Ⅵ期の特徴の差異を比較し、次のような感想を持つことができました。

「Ⅳ期縄文人社会は恵まれた環境を生かして、恵まれた生活を送り、そしてある時突然消滅した。」
「その後のⅤ・Ⅵ期社会はそれまで利用していなかった条件の悪い場所にも進出し、地域全体で相互補完的な資源利用システムを構成するというⅣ期には見られない社会頑強性を備えるようになり、厳しい環境にも適応していったように感じられる。」

この感想と社会崩壊5要因を統合して考えると、Ⅳ期縄文人社会崩壊の推論がおぼろげに頭に浮かんできました。

結論的には、気候変動つまり寒冷化がⅣ期縄文人社会崩壊の主因ではないだろうかという推論が生まれました。

次に5つの要因について、気候変動を最後にしますが、順次検討してみます。

1 人が環境に与えた損傷(環境破壊)
乱獲等による環境破壊も存在していたに違いありません。(ハマグリの形が小さいので採集圧が高かったと考えられている。)

しかし社会を滅ぼすほどの並外れた乱獲を想定できるような条件(画期的道具の発明など)の情報には接していません。

また、東京湾沿岸が並外れた自然脆弱性があるということは、前後の時期に貝塚社会が営まれているので考えられません。

このような事情から環境破壊がⅣ期縄文人社会崩壊の主因であるとは考えられません。

2 近隣の敵対集団
殺戮に関わるような発掘情報がないようですから、近隣の敵対集団により滅ぼされたということは考えにくいことです。

また、古東京湾と古鬼怒湾のⅣ期貝塚集落がすべて消滅した後に古東京湾に、その後古鬼怒湾にとⅤ・Ⅵ期縄文社会が建設される様子から、侵略による既存社会略奪支配という印象を持てません。

3 近隣の友好集団
近隣の友好集団からの物資輸入や文化的絆の供給が途絶えたことが社会崩壊の主因であるとう考えも、「生業や食事のバランスは魚貝類に偏ってはおらず、堅果類・イモ類等の植物、陸獣などを含めた多種の食材を運び込む点に特徴がある」という記述にあるような豊かな環境を謳歌している自給自足的状況下では考えにくいと思います。

4 さまざまな問題への社会の対応
さまざまな問題への社会の対応という点では、もし崩壊の主要因が気候変化であるなら、思いあたる節があります。

Ⅳ期縄文人社会は「広場と群集貯蔵穴をもつ集落形態、多数の遺構内貝層、イボキサゴや小型ハマグリ中心の貝層、多量の土器片錘、石器組成など共通点が多く、きわめて均一性が高い」という特徴を持っています。

この特徴は、Ⅴ・Ⅵ期社会のような「地域全体が相互補完的な資源利用システムを構成して」いないということです。

均一的社会は歯車が回っているときは効果的効率的ですが、いったん歯車が狂うと、それがリスクになり、脆弱性に転化します。

気候変動により当てにしている食料を十分に得られなくなった時、そのリスクを補完するシステムが存在していなかったということになります。

5 気候変動
縄文時代中期に顕著な寒冷化があったことが第四紀学で知られています。
この顕著な寒冷化は縄文時代中期の海面低下とも対応しています。

*縄文時代中期寒冷化の情報は下記図書(松島義章「貝が語る縄文海進」有隣新書)引用参照

従って、寒冷化という気候変動、海面低下という地形変化(干潟環境の変化)による自然環境変化に伴い、それまで各集落で個別に得ていた「魚貝類、堅果類・イモ類等の植物、陸獣」という食糧の総量が生活維持レベル以下になった時期があれば、その時期に各集落が一斉に滅びてしまうと想像します。

Ⅳ期縄文人社会崩壊の主因は縄文時代中期の顕著な寒冷化であると推察します。

なお、もし集落毎に魚介類専門、堅果類・イモ類等の植物専門、陸獣専門などの分担がある程度あれば、専門を分担した集落の生産量は全集落で均一に行う生産より多いことが想定されますから、寒冷化危機に際し魚介類、堅果類・イモ類、陸獣の全ての生産が完全に破滅的にならない可能性も残ります。

そのような可能性が残れば、不足食料分を融通移動して相互扶助でき、社会崩壊を免れたかもしれないと、Ⅴ・Ⅵ期社会の在り方から、想像します。

社会が崩壊するほどの寒冷化が存在したのですが、恐らくその期間には社会にトドメを刺す特殊時期があったと想像します。

そのトドメを刺す特殊時期とは寒冷化と火山の噴火が重なるなどであったと想像します。

トドメを刺す特殊時期は数年という短い期間で十分であったと思います。

……………………………………………………………………
松島義章「貝が語る縄文海進」有隣新書による縄文時代中期寒冷化の記述

記述
過去8000年間の気候変化は、尾瀬ヶ原におけるハイマツ花粉の消長とそのほかのデータから明らかにされている(阪口、1993)。
その中で顕著な寒冷化は、約4500年前の縄文時代中期と約3000年前の縄文時代晩期、約1500年前の古墳時代にあったことが指摘された。
この三つの寒冷期は、いずれも北海道域で確認された温暖種の衰退期と一致する。
なかでも縄文時代中期の寒冷期は、北海道域以外では南関東における熱帯種の衰退期と、相模湾沿岸の貝塚から出土したチョウセンハマグリの示す酸素同位体比による海水温の低下が極小になる時期(鎮西ほか、1980)とよく合っている。
さらに、房総半島勝浦沖の海底コアに含まれていた微化石群集が示す約5000ー4000年前の寒冷化(鎮西ほか、1984・1987)とも一致しており、寒冷化は太平洋側でも広域で確認されている。
この寒冷期は「縄文中期の海面低下」(太田ほか、1982・1990)と対応する。

太平洋沿岸の微化石群中の黒潮系種の変動

日本列島における暖流と寒流の流れ

多摩川・鶴見川下流域から横浜周辺における約1万500年前以降の相対的な海面変動曲線

またこの図書では南関東における温暖種の出現と消滅について詳しく分析しています。

南関東における温暖種の出現と消滅

第1グループの温暖種は海面低下による生息環境の消失による消滅、第2グループの温暖種は海水温低下による消滅であると説明しています。

松島義章「貝が語る縄文海進」有隣新書







0 件のコメント:

コメントを投稿