その中で貝塚集落の顕著な衰退期について、ぜひともその理由を知りたいと考えたのですが、残念ながら同書には説明はほとんどありませんでした。
ところが「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行)の「第1編第8章縄文社会崩壊のプロセス」の中で縄文社会衰退理由の検討を行っていますので、その学習を引き続いて行います。
大膳野南貝塚発掘調査報告書の学習(分析作業)そのものの諸準備は整ってきているのですが、あまりに基礎知識が不足しているので、泥縄方式で基礎学習をしている次第です。
「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行)の「第1編第8章縄文社会崩壊のプロセス」では、縄文時代後半について3つの衰退期を指摘して、その考察を行っています。
この記事では3つの衰退期と貝塚分布図との対応を確かめます。
1 縄文時代後半の3つの衰退期
「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行)「第1編第8章縄文社会崩壊のプロセス」では縄文時代の繁栄や衰退は各時期の人口の推移を示すことで客観的に説明できるかもしれないが、それを知る術がないので、竪穴住居数の推移によって、示すことができるであろうと記述しています。
そして、次の3図葉を掲載して、主に中期後半の衰退、後期中葉の衰退、晩期後半の衰退について論じています。
関東地方西南部における竪穴住居跡数の推移
「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行)から引用
京葉地域における竪穴住居住居跡数と遺跡数の推移
[京葉地域とは船橋、市川、松戸、鎌ヶ谷、千葉、市原市を指す。]
「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行)から引用
関東地方西南部の中期後半の竪穴住居跡数減少は激しいものがありますが、京葉地域における同時期竪穴住居跡数減少はそれと比較すると激しさは少なくなっています。
その理由として、同書では関東地方西南部が根茎類・堅果類等への依存が強く、房総では大型貝塚に代表されるような海産資源依存が強かったものであろうと述べています。
2 縄文時代後半の3つの衰退期と貝塚分布図との略対応
縄文時代後半の3つの衰退期と貝塚分布図との略対応図を作成しました。
縄文時代後半の3つの衰退期と貝塚分布図との略対応 中期後半
縄文時代後半の3つの衰退期と貝塚分布図との略対応 後期中葉
縄文時代後半の3つの衰退期と貝塚分布図との略対応 晩期後半
次の記事から、各衰退期に関する図書(「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行))の記述を吟味学習します。
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