2017.02.05記事「大膳野南貝塚 遺構分布概要 縄文時代早期」では「草創期~前期中葉の遺構と遺物」で掲載されている縄文時代早期遺構分布図を概観しました。
なお、記事掲載後発掘調査報告書の「まとめ」を読むと、旧石器時代、前期後葉の記述はあるのですが、その中間の「草創期~前期中葉」記述がないことに気が付きました。
「まとめ」に「草創期~前期中葉」の記述がないことに、どのような背景があるのか、一般人には理解不能ですので、記録しておきます。
この記事では「前期後葉の遣構と遺物」で掲載されている遺構分布図を概観します。
大膳野南貝塚 縄文時代前期後葉 遺構分布図
竪穴住居祉16軒と土坑113基の分布図が示されています。
発掘調査報告書のまとめでは、竪穴住居祉土坑を合わせた分布が略環状になっていて、それがその時期の集落構造を表しているという分析を行っています。
発掘調査報告書ではサンプル調査した全ての土坑からオニグルミ核が出土していて、土坑は貯蔵庫であると推定しています。
またこの集落の土坑墓は西方隣接遺跡のバクチ穴遺跡にあるのではないかと推定しています。
遺構位置をGISで全てプロットしたので、今後発掘調査報告書記載情報を遺構別に整理して、GIS空間分析をいろいろと試みたいと思っています。
縄文時代草創期~前期中葉までは、遺構分布から大膳野南貝塚遺跡空間は狩場であったと考えることができますが、前期後葉には居住空間(集落空間)に変化したことを理解できました。
また貝層と獣骨の出土がありますから、この時期から海の幸と山の幸の双方を利用していたことが判明します。
この集落の縄文人の狩場はこの集落内でないことは明白になりましたから、どこを狩場にしていたか?、つきとめなければなりません。
また生活における海の幸利用割合がどの程度であったのか、次の時期(貝塚形成期)と比べみたくなります。
今後詳しい検討を行います。
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