2017年2月13日月曜日

千葉県の貝塚学習 縄文時代早期前葉・中葉の貝塚が少ない理由

縄文時代早期前葉の貝塚が2つ、中葉の貝塚が1つ発見されています。

この時代の貝塚の発見数が少ない理由の1つについてメモしておきます。

この時代は縄文海進のクライマックス期(縄文時代早期後葉)以前であり、現在よりはるかに海面が低かった時代です。

その時代には現在すでに海の浸食作用により削られてしまった台地地形(下総台地)が存在していたと考えられます。

その失われた台地地形に縄文時代早期前葉~中葉の貝塚が存在していた可能性は濃厚であると考えられます。

次の図に掲載されている埋没平坦面は縄文海進によって削平されたもともと台地であった空間です。

埋没平坦面

この失われた台地に旧石器時代~縄文時代早期中葉までの遺跡が存在していた可能性を排除できません。

貝塚が存在していたと想定することが思考として合理的であると考えます。

東京湾でも事情は同じで、縄文海進で台地が浸食削平され埋没波食台として残っています。

埋没波食台

埋没波食台

東京湾でも、埋没波食台となる前の台地地形に旧石器時代から縄文時代早期中葉までの遺跡が存在していた可能性を排除することはできません。

このように、縄文時代早期前葉と中葉の発見貝塚数が少数であることの説明として、地形変化により多くの貝塚が失われてしまったという理由を上げることができます。

このように思考すると、発見された少数の貝塚の貴重性が浮かび上がります。

同時に、縄文時代早期前葉と中葉において発見数より多い貝塚群が存在していたと考えることになります。

そのように考えるとその仮想貝塚群と近隣同時代非貝塚遺跡群(Ⅰa期のA~F、Ⅰb期のA~C)との関係が興味の対象になります。

仮想貝塚群と近隣同時代非貝塚遺跡群との間に交流が存在していたと考えることが妥当ですから、近隣同時代非貝塚遺跡群の発掘情報の中から仮想貝塚群との交流を示す(暗示する)情報を見つけることができると考えます。


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