Google earth proにレイヤーを重層表示して時代変遷が分かるようしたいというツール開発をしていたところ、突然ツール開発が成功しました。
ブログ「花見川流域を歩く番外編」2017.07.25記事「Google earth proレイヤー重層表示の改良 アイディアの源泉」
例として西根遺跡の流路を扱っていたのですが、このツールで西根遺跡流路変遷の特徴が判りましたのでメモします。
次に西根遺跡の縄文時代(流路1)から順次現河川までをレイヤー重層表示アニメで示します。最後に流路の集成図を示しています。
このアニメを見ていただくと、下記にかいた特徴を誰でも感得できると思います。
西根遺跡流路変遷アニメ
このアニメをつくる前の流路変遷感は「時代によって流路はバラバラだ。特別の傾向はない。」という印象程度でした。
ところが、このアニメを見ると、発掘域中央付近で時代とともに流路が右に移動していることが判ります。
時代別流路
そして細かく観察すると、なんと縄文時代から現河川(開発前)にかけて流路がほぼ正確に西遷(右岸側へ移動)しているのです。
時代別流路詳細
時代によって戸神川流路はあちこち自由に乱流していたという思考はとても雑なもので到底許されるものでないことを思い知らされました。
この事実を次のように解釈しました。
戸神川流路西遷の理由
左岸船尾方面から戸神川に流入する支谷津の堆積物の影響で戸神川谷津の左岸側が埋まり、流路が支谷津反対側に押しやられていることが読み取れます。
この事実から、戸神川のこの付近は縄文海進後の海→川のプロセスが他の場所より顕著であったことが想定できます。
縄文海進の頃(縄文時代早期、前期頃)戸神川の奥深くまで丸木舟で乗り入れることができたという交通事情が、縄文時代後期には大いに窮屈になっていたことが忍ばれます。
戸神川流路変遷は私が想定する「土器送り場である西根遺跡の本質とはミナト送りの場である」という思考と符合し、さらには補強する材料であると考えます。
2017.04.20記事「西根遺跡学習用作業仮説」
2017.04.26記事「西根遺跡は翡翠原石入荷ミナトか? 学習用作業仮説追補」
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