J50号竪穴住居の柱穴分析は次のような結果となっています。
J50号竪穴住居の柱穴分析
発掘調査報告書における柱穴の分類とその分布から、主柱穴は北方向を意識して設置されていること、新段階主柱穴及び壁柱穴が存在していた時(建物が存在していた時)、住居に祭壇が設けられ、北方向を向いて拝んでいた可能性を論じました。
2017.04.19記事「竪穴住居廃絶時の祭壇跡か」参照
この検討の確からしさについて、新たに柱穴深度逆立体グラフを用いて検討します。
柱穴深度が大きければより高い柱がそこに建てられていた可能性があり、柱穴深度逆立体グラフは柱の高さを復元想定する材料として使えると考えます。
用途不明柱穴(祭壇であると想定した柱穴)を北に向かってみると次のようになります。
J50号竪穴住居 用途不明柱穴の深度逆立体グラフ
これを東方向を向いてみると次のようになります。
J50号竪穴住居 用途不明柱穴の深度逆立体グラフ
用途不明柱穴が東西方向に3~4の列をなしている状況がわかります。
次に主柱穴、壁柱穴との関係をみると次のようになります。
J50号竪穴住居 古段階主柱穴と用途不明柱穴の深度逆立体グラフ
用途不明柱穴と古段階主柱穴は配置のみならずその深度(つまり柱の高さ)から分別されます。
用途不明柱穴と新段階主柱穴は配置のみならずその深度(つまり柱の高さ)から分別されます。
壁柱穴と新段階主柱穴は主にその配置から、また深度(つまり柱の高さ)からも分別されます。
参考 J50号竪穴住居 全柱穴の深度逆立体グラフ
また、柱穴深度逆立体グラフを真上付近からみると次のようになります。
J50号竪穴住居柱穴深度逆立体グラフ
これらの観察結果から、J50号竪穴住居の用途不明柱穴の柱は建物が存在していたとき、その中に設置された祭壇(ヌササン)であるという想定の確からしさをより強めることができたと感じました。
次のイメージ図は柱穴深度逆立体グラフのデータ(柱の高さ)を反映していませんが、このようなイメージの祭壇が建物内に作られたと考えることができます。
J50号竪穴住居の祭壇の想像図
J50号竪穴住居では、住居主人が死亡してその竪穴住居の廃絶が決まった時、竪穴住居の建物が存在する状態でその空間が祭祀の場となったと想定します。
後期集落J67竪穴住居(人骨出土)では建物が存在していない状況で祭壇(ヌササン)が作られたと想定できますから、前期集落と後期集落では廃絶竪穴住居が祭祀の場(送り場)として使われるプロセスが異なる可能性があります。
これらの観察結果から、J50号竪穴住居の用途不明柱穴の柱は建物が存在していたとき、その中に設置された祭壇(ヌササン)であるという想定の確からしさをより強めることができたと感じました。
次のイメージ図は柱穴深度逆立体グラフのデータ(柱の高さ)を反映していませんが、このようなイメージの祭壇が建物内に作られたと考えることができます。
J50号竪穴住居の祭壇の想像図
J50号竪穴住居では、住居主人が死亡してその竪穴住居の廃絶が決まった時、竪穴住居の建物が存在する状態でその空間が祭祀の場となったと想定します。
後期集落J67竪穴住居(人骨出土)では建物が存在していない状況で祭壇(ヌササン)が作られたと想定できますから、前期集落と後期集落では廃絶竪穴住居が祭祀の場(送り場)として使われるプロセスが異なる可能性があります。
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●北方向礼拝と地形空間との関係
偶然になりますが、前期集落J50号竪穴住居と後期集落67号竪穴住居はすぐ隣接しています。その2つともに北方向を意識していることが読み取れます。
その2つの竪穴住居は大膳野南貝塚が存在する台地の「付け根」のような場所で、東側、西側ともに谷津であり、北を拝むにはうってつけの場所です。
北方向を拝む祭祀の場がそれにふさわしい地形空間と対応しているという因果関係があるのかどうか、意識して学習を進める予定です。
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