2017年7月31日月曜日

印旛沼・手賀沼付近の縄文海進海面分布イメージとその移動ルート

2017.07.27記事「西根遺跡戸神川流路の時代変遷」で戸神川流路変遷の自然地理的特性を書きました。
Google earth proレイヤー表示技術開発の中で偶然判ったことです。
偶然とはいえ、戸神川の自然地理に興味が派生してしまいましたので、数年前から気になっていた戸神川自然地理の最大の問題である縄文海進海面分布について検討しておくことにします。

縄文海進の海陸分布がわかれば、戸神川の考古学(西根遺跡の考古学)学習の基礎を構築することができます。

この記事では縄文海進海面分布をイメージ的、統計的、大局観思考的に検討してみます。

1 関東地方の縄文海進海陸分布の大局観
現代地形学の最新学術書に次の1926年作成「関東低地の旧海岸線図」が掲載されています。

東木(1926)による関東低地の旧海岸線図(「日本の地形4 関東・伊豆小笠原」(貝塚爽平他編、2000、東京大学出版会)より引用)

この図書には関東平野全体の縄文海進地図は別のものは掲載されていません。
現代の代表的地形学書に1926年(大正16年)の学術成果が研究史の一コマではなく、生きた情報として引用されていることに驚きます。
縄文海進について関東平野をこのような総括図として示している図はどれも皆「東木龍七(1926):地形と貝塚分布より見たる関東低地の旧海岸線、地理学評論2-7、2-8」を参考としているようです。
もっとも、この図は「日本の地形4 関東・伊豆小笠原」編者が作成した図のようです。東木(1926)の図は数枚に分かれていて、かつ関東平野を網羅しているわけではありません。

2 関東地方縄文海進海陸分布の簡易的イメージ把握方法
「東木(1926)による関東低地の旧海岸線図」は地図が小縮尺で細かい地形は判りません。そこで「東木(1926)による関東低地の旧海岸線図」の情報レベルのまま、地図を大縮尺にしてみる方法を検討したことがあります。
2014.04.08記事「縄文海進クライマックス期の海陸分布」参照
標高3m、5m、8m、10m、13mを境とした海陸分布図を作成し、東木旧海岸線図とオーバーレイしてみました。
結果として、標高8mを境とした海陸分布図が「旧海岸線図」に最も合い、次に標高10mがよく合いました。

「東木(1926)による関東低地の旧海岸線図」と現在標高8mを境とする海陸分布図との強引な重ね合せ図

厳密性はありませんが、標高8mとか10m等高線付近が縄文海進海陸分布情報をイメージするのに役立つと考えます。

何も手がかりがないことを考えれば、標高8mとか10m等高線利用の意義はあります。

なお、縄文海進の海面上昇は3m程度と言われていますが、関東地方では次のような要因により、縄文海進クライマックス期海岸線の平面位置が、大局観的にみて現在の標高8m、10m等高線平面位置に存在すると考えられます。

●縄文海進クライマックス期海岸線の平面位置が大局観的にみて標高8m、10m等高線平面位置に合う理由
・地殻変動による地盤の上昇
・火山灰の降灰による地層の発達
・植物遺体の堆積による地層の発達
・河川の土砂運搬堆積による地層の発達
・水田耕作開始期以降の干拓・農地造成・宅地造成による人為的盛土

3 印旛沼・手賀沼付近の縄文海進海面分布イメージ
旧版2万5千分の1地形図から谷津谷底を抜き出し、標高10m等高線の位置をプロットしてみました。

谷津谷底の標高10m地点の分布

標高10m地点を赤丸で示しましたが、この赤丸付近まで縄文海進クライマックス期の海面が広がっていたと大局観的、イメージ的、統計的に捉えることができます。

4 縄文海進クライマックス期の印旛沼-手賀沼の交通特性
縄文海進クライマックス期(縄文時代早期頃)の印旛沼と手賀沼の交通特性を考えてみました。
印旛沼と手賀沼の海面を利用した丸木舟により、流域界付近は一部陸路(船越)を利用して交通していたことを考えると、次のような検討結果となりました。

丸木舟を使った印旛沼-手賀沼移動距離

A地点からB地点に移動する最短ルートが戸神川ルートであることが判りました。
陸路が最短になる神崎川ルートは戸神川ルートより1.8倍の距離になり、陸路最短という条件を生かせませんから、縄文海進クライマックス期の印旛沼-手賀沼交通ルートは戸神川ルートに限定されると考えてよさそうです。

海退により縄文海進の海が狭くなっても、戸神川ルートだけ条件が悪くなることは考えられませんから、海退期(縄文時代前期、中期、後期、晩期)でも印旛沼と手賀沼の丸木舟交通のメインルートは戸神川ルートであったと考えることができます。

西根遺跡はこの戸神川ルートの印旛沼側奥に位置します。

西根遺跡が丸木舟を利用した印旛沼-手賀沼交通のミナトであるという想定の確からしさが急激に高まりすます。
またそのミナトが上流側から下流側に順次移動したことの理由も説明可能となります。

この記事では縄文海進クライマックス期海面の位置は統計的・イメージ的なものですが、次の記事でボーリングデータを使って、地学的にその分布について検討を深めます。

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参考

谷津谷底の標高10m地点の分布(拡大図)基図旧版2万5千分の1地形図

谷津谷底の標高10m地点の分布(拡大図)基図標準地図(国土地理院)

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