2017年7月22日土曜日

竪穴住居の送り場利用は建物廃滅後

大膳野南貝塚縄文時代後期集落の竪穴住居柱穴分析を行っています。
柱穴深度逆立体グラフをつくれるようになりましたので、試行データを作成したJ67号住居について、予察的に検討します。

柱穴深度逆立体グラフは柱穴の深さを誇張して地上に表現したものですが、柱穴深度が多きればそれだけ高い柱、太い柱が立っていた可能性があることから、建物存在をイメージする手立ての一つになります。

発掘調査報告書に掲載されているJ67号住居写真と似た角度で柱穴深度逆立体グラフを作成して、並べて、写真の柱穴と柱穴種類(壁柱穴、張出部柱穴、意義記載なし(用途不明)柱穴)を対照させてみました。

このような作業をすると、竪穴住居の送り場としての様子が次から次へと推測できます。
与えられた情報は同じですが、平面図や一覧表情報を見るのと、立体的にその情報をみるのでは推測力(発想力)とその自信の程度が全く異なります。
検討の深さが全く異なることを体験しています。

次のような検討結果を得ることができました。

J67号住居 柱穴深度逆立体グラフからみた送り場の様子推測

人骨近くの用途不明3柱穴は祭壇(ヌササン)の柱穴であると推測することができます。
この場合、祭壇が張出部構造柱の影となる位置関係から、祭壇は建物廃滅後に設置されたと考えることができます。
このように考えると壁柱穴の外に位置する用途不明柱穴も祭壇を構成する柱であると捉えることができます。
また人骨と祭壇の位置関係から送り場に表側、裏手側が存在していたことがわかります。
さらに祭壇は略北側を意識してつくられていたと考えることができます。
前期集落でも祭壇は北側を意識していましたので、房総縄文人が北極星を信仰していたことが推測できます。
J67号住居は建物廃滅後、祭壇が設置された送り場として利用されたと推測することができますから、遺体を置いた時はすでに建物は無かったのです。
獣骨も出土しているので、遺体を置いて送るという祭祀の中で、あるいはそれとは別の祭祀でこの場で獣肉食が行われたと考えられます。

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参考

この記事検討で使ったGoogle earth pro画面

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