この記事は2017.06.24記事「衰退期の大膳野南貝塚集落」のつづきです。
発掘調査報告書からの引用は赤字で示します。
1 堀之内2 ~加曽利B1式期
「前段階よりもさらに集落規模は縮小され、本時期に属する遺構は住居2 軒、土坑4 基を数えるのみである。このうちJ30号住は径9 mを超える大型の柄鏡形住居で、前段階(堀之内2 式期)に属する大型住居のJ31・32号住と重複して検出されている。貝層が検出された遺構は201号土坑のみである。また、本時期には漆喰を利用した遺構は全くみられなくなる。」
堀之内2 ~加曽利B1式期集落
2 加曽利B1~B2式期
「本時期は大膳野南貝塚縄文集落の終末期と推定される。本時期に属する遺構は住居2 軒、土坑6 基のみである。貝層が検出された遺構は181・184号土坑の2 基のみである。また、本時期にも漆喰を使用した遺構はみられない。なお、後期後葉以降~晩期については微量の土器は出土しているが、明確な生活痕跡は本遺跡では検出されていない。」
加曽利B1~B2式期集落
3 考察
・2つの時期とも竪穴住居の位置は堀之内2式期集落の範囲内であるので、堀之内2式期集落家族の末裔が細々と暮らした跡であると考えます。
参考 貝塚創始期と衰退期のA、B2家系統は対応するか?
・創始期、盛期、衰退・終焉期で遺構、遺物がどのように変化するのか、今後詳しく学習します。
・終焉期の加曽利B1~B2式期は平行して学習している西根遺跡の時期であり、西根遺跡にみられる土器体系を念頭に大膳野南貝塚の同期土器データを見て学習を深めたいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿