2017年8月16日水曜日

土器塚学習の開始

西根遺跡に類似する土器多出遺跡として「土器塚」と呼ばれている遺跡が下総にありますが、たまたまパラパラめくっていた図書「千葉県の歴史 資料編 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)に「土器塚」という項目が独立してありました。

「土器塚」の最初のページ 「千葉県の歴史 資料編 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)から引用

ざっと読むと、西根遺跡の特徴と瓜二つの特徴がいくつも出てきていますので、これをテキストにして、また参考文献を入手して短期集中学習をすることにします。

西根遺跡が土器塚の1類型であることは間違いないと考えます。

なお、文中や参考文献に戦前からの考古学者として和島誠一という名前が出てきます。和島誠一先生は私が大学で講義を受けたことがあり(*)、そうした親しみを憶える過去体験の記憶がよみがえったことも学習意欲を増進させます。

*2013.08.10記事「縄文土器を拾う」参照

この記事では参考文献を取り寄せる前の感想を記録しておきます。
参考文献を読む前と読んだ後の自分の思考の変化がどうなるか興味があります。
今考えている自分の思考(見立て)が参考文献研究成果摂取によって大幅改変することになるのか、それとも反対に自分の見立ての蓋然性の高さに自信を深めるのか、その双方・中間か。いずれのコースを歩むにしても自分の学習は深まるに違いないと期待しています。

1 土器塚の分布
図書には利根川沿岸1カ所と印旛沼流域6カ所の土器塚が紹介されています。

印旛沼付近の土器塚と西根遺跡

2 土器塚の特徴
図書では次のように土器塚研究をまとめています。
・形成時期が後期前半の堀之内2式から加曽利B3式期に限られる。
・土器塚は本来の縄文時代遺構である。
・分布が利根川下流から下総台地中央部に集中している。
・土器塚を残す遺跡は集落祉であると考えられる。しかも継続期間の長い大きな遺跡である点で共通している。
・詳しい調査が十分なされていないので土器塚の構造の違いはあるかもしれない。
・土器塚の形成年代や立地などの共通性を重視すると、縄文後期社会、わけても加曽利B式期を特徴付ける現象である可能性が高い。

3 西根遺跡との共通性と非共通性に関する感想
この論説の中にでてくる個別土器塚の特徴と西根遺跡とのあいだに次のような共通性を感じました。
●土器形式
加曽利B式土器がメインであるという点で土器塚と西根遺跡に時期と共通性があります。
●土器の精製・粗製別
粗製土器がメインであるという点で土器塚と西根遺跡に共通性があります。
●完形土器の欠如
復元すると完形土器がないという状況が土器塚と西根遺跡に共通します。(とりわけ重要な共通性であると考えます。土器塚も西根遺跡も機能喪失土器だけが出土していることになります。)
●出土状況の類似性
「煎餅を踏み潰したようにギッシリ詰まっている」状況が土器塚と西根遺跡で同じです。
●石器出土が少ない
土器塚も西根遺跡も石器出土が土器と比して極端に少ないようです。

また、土器塚と西根遺跡は次のような非共通性があります。
●立地地形
土器塚は全て台地上で西根遺跡は低地です。
●集落空間との関係性
土器塚は集落空間との関係性が(おそらく距離が近いので)明瞭であるようです。
西根遺跡は集落空間に付属するような遺跡ではありません。(西根遺跡は土器を丸木舟で運んできているので、検討無しに集落との関係を直接的に把握できません。なお、西根遺跡は特定1つの集落に対応するものではなく、近隣印旛沼南岸の集落群に対応する広域後背地を有する遺跡であると想像しています。)

4 学習の視点
次のような疑問を参考文献にぶつけながら学習を進めて、土器塚と西根遺跡の特性に迫りたいと思います。
・土器塚出土物の中に西根遺跡における祭祀関連出土物(イナウ、飾り弓、獣骨)と対応するような出土物があるのか。
・土器が意図的に壊されているか。(おそらく土器塚と西根遺跡は機能喪失土器を破壊する行為が祭祀のメインであったと考えます。)
・交通環境の中で土器塚をみるとどのような眺め(思考・想定)が生まれるか。
・祭祀・交流・イベントなどの機能を有する「現代でいえば神社みたいなもの」として土器塚をイメージすると、どのような不都合、好都合が考えられるか。
・施設空間廃絶祭祀が土器塚のベースにある(原点である)と考えられるか。(図書の記述を読むと、土坑の廃絶や道路交差点空間の付け替えなどがきっかけで土器塚が始まったといえるかどうか興味津々です。)
・土器塚相互の間に祭祀ネットワークなどの関連性を想定出来うるか。西根遺跡と土器塚の間に何らかの関連性を想定出来うるか。

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