この検討の後、縄文海進クライマックス期の海面分布、その後の海退期の海面分布をボーリングデータを参考に想定しました。
そこで、再度詳しく縄文時代の印旛浦と手賀浦の交通路について検討します。
1 縄文海進クライマックス期の海面分布
戸神川谷津の縄文海進クライマックス期海面分布はボーリングデータから実証的に把握できました。
この海面分布に対応する現在地形谷底標高は約12mになります。(現在地形といっても、もちろん現代開発前の地形です)
広域一般論(簡易思考)として縄文海進クライマックス期海面分布は現在地形標高10mに対応すると考えてきています。
そして戸神川で約12mという値を得られましたので、この値を戸神川付近の谷津に適応してより蓋然性の高い縄文海進クライマックス期海面分布図を作成しました。
印西台地付近縄文海進クライマックス期の海面分布想定
2 縄文時代早期の印旛浦-手賀浦メイン交通路
1で作成した海面分布図を利用して縄文時代早期の印旛浦-手賀浦メイン交通路を作成しました。
縄文時代早期の印旛浦-手賀浦メイン交通路
この図を西根遺跡付近について拡大して表現すると次のようになります。
戸神川谷津から直接台地に接続できる海-陸の関係が存在しています。
西根遺跡付近は海の底に位置していて、もちろんまだ遺跡は形成されていません。
3 縄文時代後期(加曽利B式土器期)の印旛浦-手賀浦メイン交通路
これまで検討してきた海退期海面分布図をつかって縄文時代早期の印旛浦-手賀浦メイン交通路を表現しました。
縄文時代後期(加曽利B式土器期)の印旛浦-手賀浦メイン交通路 西根遺跡付近
戸神川谷津の海退が順次進み、台地から谷津谷底に降りる陸路が船越として利用されたと考えられます。
西根遺跡はミナト(海面と陸路接点)直近の船越(陸路)に存在します。
この交通路上(ミナト直近)に西根遺跡が存在していることが、西根遺跡の隠された特性を暴き出すカギになると考えます。
交通路との関連思考なしに西根遺跡の本質を捉えることは出来ないと直観しています。
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