2017.08.01記事「戸神川谷津の縄文海進海面分布」で縄文海進クライマックス期の海面分布のイメージを、2017.08.04記事「戸神川谷津の縄文海進海面高度」でその時の海面高度のイメージを把握しました。
花見川で以前検討したことがあるので、それなりの確からしさを確保できている自信はあります。
その勢いに乗じて、縄文時代後期(加曽利B式土器期)の海面分布を明らかにしようとしました。
縄文時代後期の海面高度はクライマックス期の海面高度と現在の高度(0m)を時間によって按分比例で把握するしかないと最初から考えています。
縄文時代後期つまり西根遺跡の加曽利B式土器期の年代はC14で出ていますので、按分比例の計算はすぐにできます。
その当時の海面分布は発掘調査報告書所収の縄文時代流路の勾配を利用して、その時代の海面高度との交点を平面上(断面上)で求めれば把握できると考えていました。
ところが、「そうは問屋は卸さない」状況が生まれました。
次の図は西根遺跡断面図から縄文時代流路(流路1)の流路底高度を測定した作業図です。
西根遺跡断面図から縄文時代流路(流路1)の流路底高度を測定した作業図
上流から下流に向かって流路底高度が下がってくれれば、何とか思い通りの分析作業になります。
ところが上流から3.2m→3.3m→3.2m→3.5m→3.3mとなります。
上流から下流に向かって流路底が下がるという一般流路の縦断面になっていません。
次の図は土器出土層の高度分布図です。
発掘調査報告書による土器出土層縦断図
この図も大局的にみても、子細に検討しても上流から下流に高度が下がっていると結論付けられません。
縄文海進クライマックス期から現在まで順次海面が低下し、戸神川谷津では台地奥深く侵入した海が近世印旛沼の位置まで縮小していったことは確実です。
その確実な事実と西根遺跡縄文流路勾配の「異常」を整合させて説明できるようにならなければ西根遺跡の特性を知ることはできません。
データが自分を試す状況が生まれてしまいました。
この危機(?)をいかに脱出するか!
アーダ、コーダと考えているうちにこの危機から離脱できる思考が生まれましたので、次の記事で検討します。
海退期における谷津堆積過程というある程度専門的な検討になりますが、チャレンジしてみます。
全て予定調和的に進まないところに趣味活動の醍醐味と認識飛躍チャンスが生まれます。
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