2017.09.03記事「西根遺跡 弥生時代以降における縄文土器露出状況」の検討副産物を記事にします。
次の図は時代別流路の断面図を例示したものです。
時代別戸神川流路の深さ
流路2(古墳時代前期以前)と流路3(古墳時代前・中期)の深さが大きく、また断面自体も大きくなっています。
戸神川の浸食力が大きく、極端にいえば沖積低地が河岸段丘のようになっている様子がわかります。
時代前後の流路1(縄文時代)や流路4~6・7は極浅い流路となっています。
この現象はいわゆる「弥生の小海退」に対応する地象であると考えます。
このような戸神川浸食力増加時期があったため、その期間に水田耕作する人々は戸神川に可動堰を作ったと考えます。
戸神川の浸食力が衰え、流路の深さが浅くなれば、可動堰は必要なくなり、自然流下で水田に水を引くことができます。
古墳時代にのみ戸神川に可動堰がつくられた理由は「弥生の小海退」の影響によるものであると考えます。
参考 古墳時代(流路3)可動堰
「印西市西根遺跡-県道船橋印西線埋蔵文化財調査報告書-」(平成17年)から引用
2017年9月4日月曜日
2017年8月10日木曜日
土器集中地点別海面分布
2017.08.09記事「縄文時代後期海面分布の想定」で西根遺跡土器第3集中地点形成期頃の海面分布想定図を作成しました。
この図面と同じ図面をデータを検討してある第4集中地点、第5・6集中地点について作成しました。
またデータを外挿して、想像も交えて第1集中地点、第2集中地点、第7集中地点についてもその時期の海面分布を想定してみました。
次にその海面分布図を時間順に並べてみます。
土器第1集中地点形成時期頃の海面分布想定
土器第2集中地点形成時期頃の海面分布想定
土器第3集中地点形成時期頃の海面分布想定
土器第4集中地点形成時期頃の海面分布想定
土器第5、6集中地点形成時期頃の海面分布想定
土器第7集中地点形成時期頃の海面分布想定
縄文時代後期に海面が急速に後退する時期に西根遺跡に土器集中地点が形成されました。
土器集中地点は過去の海の戸神川河口最奥部であり、ミナトであった地点です。
また土器集中地点はその時期戸神川の、丸木舟で遡れる最奥部であった地点であると考えています。
上記海面分布想定図を使って西根遺跡の特性をあぶり出していこうと考えています。
この図面と同じ図面をデータを検討してある第4集中地点、第5・6集中地点について作成しました。
またデータを外挿して、想像も交えて第1集中地点、第2集中地点、第7集中地点についてもその時期の海面分布を想定してみました。
次にその海面分布図を時間順に並べてみます。
土器第1集中地点形成時期頃の海面分布想定
土器第2集中地点形成時期頃の海面分布想定
土器第3集中地点形成時期頃の海面分布想定
土器第4集中地点形成時期頃の海面分布想定
土器第5、6集中地点形成時期頃の海面分布想定
土器第7集中地点形成時期頃の海面分布想定
縄文時代後期に海面が急速に後退する時期に西根遺跡に土器集中地点が形成されました。
土器集中地点は過去の海の戸神川河口最奥部であり、ミナトであった地点です。
また土器集中地点はその時期戸神川の、丸木舟で遡れる最奥部であった地点であると考えています。
上記海面分布想定図を使って西根遺跡の特性をあぶり出していこうと考えています。
2017年5月13日土曜日
西根遺跡 縄文時代水中土器送りは平安時代まで続く
西根遺跡で縄文時代土器送りが陸域だけでなく、水域(水中)でも行われたことを既に述べました。
2017.05.11記事「西根遺跡 土器集中域詳細把握と問題意識」参照
また水域(水中)の土器送り場(土器集中地点)の分布図を作成して検討しました。
2017.05.12記事「西根遺跡 土器集中域の分類(試案)」参照
この縄文時代水域(水中)土器送りの習俗が平安時代まで受け継がれていたことが発掘調査報告書で判明していますので、メモしておきます。
次の図は西根遺跡の奈良時代後半~平安時代の土器分布と特徴図です。
西根遺跡の奈良時代後半~平安時代の土器分布と特徴
奈良時代後半~平安時代においても盛んに戸神川水面に土器(多くは墨書土器)が置かれて(投げ込まれて)います。
縄文時代後期の土器集中域と同じように生活のなかで実際に使われた実用土器がほとんどで、同時に生活改善祈願の道具と推定される墨書土器が過半以上でもあります。
縄文時代後期の水中土器送りと奈良・平安時代の水中土器投げ込みが全く同じ趣旨であるかどうかという点は大いに検討の余地があると思います。
しかし、縄文時代後期の習俗が奈良・平安時代まで戸神川という同じ舞台で延々と引き継がれてきたことが推察できます。
縄文時代後期の土器送りでの祈願内容は例えば「集落の権威を高める翡翠の入手」といった社会的なものであり、奈良・平安時代の水中土器投げ込みでの祈願内容は「自分や家族の健康や生活向上」といった私的なものであるという違いはありうると考えます。
社会的なものと私的なものという違いはありますが、個々人の切実な祈願であるという点では同じであったと思います。
祈願内容は時間が流れるなかで、いろいろなものに変化するけれども、水中に土器を置いて祈願するという行為(習俗)は連綿と伝わったと考えます。
西根遺跡の中近世流路では銭貨が沢山出土しています。
西根遺跡中近世流路から出土した銭貨
平安時代まで続いた水中土器送り(土器投げ込み)習俗は中近世になると戸神川への銭貨投げ込みに形を変えたものと考えます。
戸神川は縄文時代から中近世まで水際祭祀の場として継続していたのです。
2017.05.11記事「西根遺跡 土器集中域詳細把握と問題意識」参照
また水域(水中)の土器送り場(土器集中地点)の分布図を作成して検討しました。
2017.05.12記事「西根遺跡 土器集中域の分類(試案)」参照
この縄文時代水域(水中)土器送りの習俗が平安時代まで受け継がれていたことが発掘調査報告書で判明していますので、メモしておきます。
次の図は西根遺跡の奈良時代後半~平安時代の土器分布と特徴図です。
西根遺跡の奈良時代後半~平安時代の土器分布と特徴
奈良時代後半~平安時代においても盛んに戸神川水面に土器(多くは墨書土器)が置かれて(投げ込まれて)います。
縄文時代後期の土器集中域と同じように生活のなかで実際に使われた実用土器がほとんどで、同時に生活改善祈願の道具と推定される墨書土器が過半以上でもあります。
縄文時代後期の水中土器送りと奈良・平安時代の水中土器投げ込みが全く同じ趣旨であるかどうかという点は大いに検討の余地があると思います。
しかし、縄文時代後期の習俗が奈良・平安時代まで戸神川という同じ舞台で延々と引き継がれてきたことが推察できます。
縄文時代後期の土器送りでの祈願内容は例えば「集落の権威を高める翡翠の入手」といった社会的なものであり、奈良・平安時代の水中土器投げ込みでの祈願内容は「自分や家族の健康や生活向上」といった私的なものであるという違いはありうると考えます。
社会的なものと私的なものという違いはありますが、個々人の切実な祈願であるという点では同じであったと思います。
祈願内容は時間が流れるなかで、いろいろなものに変化するけれども、水中に土器を置いて祈願するという行為(習俗)は連綿と伝わったと考えます。
西根遺跡の中近世流路では銭貨が沢山出土しています。
西根遺跡中近世流路から出土した銭貨
平安時代まで続いた水中土器送り(土器投げ込み)習俗は中近世になると戸神川への銭貨投げ込みに形を変えたものと考えます。
戸神川は縄文時代から中近世まで水際祭祀の場として継続していたのです。
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