2018年5月22日火曜日

別解釈 小児土器棺と送り場土坑が集中する例

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 46

1 2018.05.19記事に関する疑念
20180520記事「重要学習課題 貝殻・漆喰、獣骨・焼骨、土器破片」は後から読み直してみると自分が書いたとは思えないような的確性・合理性を感じます。自画自賛とはこのことです。
さて、この記事を書いてから2018.05.19記事「小児土器棺と送り場土坑が集中する例」を読み直すと、記事内容が「少し違うぞ!」という感想を持ちます。
上記記事について次のような疑念をもちました。
1 最初に送り場土坑が存在していて、その場所を選んでその土坑を潰して南貝層始祖家族が竪穴住居を建設するという流れは大変不自然です。
すでに土坑のある場所に竪穴住居を建設する例は大膳野南貝塚後期集落では稀です。
2 J77竪穴住居の漆喰貼床の下の墓坑は床下墓坑として扱うのに、同じく漆喰貼床下の土坑413号(破砕貝出土)と土坑415号(漆喰ブロック出土)を無視するのは円満な思考とは到底言えません。
発掘調査報告書のJ77竪穴住居の記述では土坑413号、土坑415号は文章でも図面でも全く出てきません。
層位的関係は床下墓坑も土坑413号、415号も全く同じです。ですから同じに扱うことがスタートであり、最初から無視する理由はありません。
3 発掘調査報告書では漆喰貼床について生活空間における実用施設と考えているフシが感じられます。しかし、漆喰貼床は焼けて硬くなっていますが、生活空間の床であったと考えるのは無理があります。漆喰が床全面を満遍なく覆っているわけでもありません。他に3軒の漆喰貼床竪穴住居がありますが、J43竪穴住居では床に埋甕があり、J104竪穴住居では同じく床に土坑がありそれらとの関連で廃絶時に漆喰が貼られたと観察できます。J34竪穴住居は柱穴が無くなってから漆喰が貼られています。
漆喰貼床は廃絶祭祀においてつくられたものであると考えることが合理的です。

このような疑念から次のような別解釈をしてみました。

2 J77竪穴住居付近の別解釈

ステージ1
最初に南貝層始祖家族の入植があったと考えます。(J77竪穴住居)

ステージ2
J77竪穴住居が廃絶してから、その場所に墓坑(発掘調査報告書で床下墓坑とされているもの)、土坑413号、415号が建設されたと考えます。出土物に人骨はありませんが、2つの土坑ともに土坑墓であると空想します。
墓坑と土坑あわせて3つが営まれたあと、その上を漆喰貼床し、住居を燃やし、貝層で覆うという祭祀があったと想定します。

ステージ3
その後J77竪穴住居付近は小児埋葬関連祭祀ゾーンとして活用されたと考えます。

3 別解釈の要点
この記事で喋りたい事柄は、漆喰貼床とは実用の床ではなく、廃絶時祭祀活動で作られた見かけの床、一時的床であるということです。
またJ77竪穴住居の床下墓坑とは廃絶住居の床面に掘られた墓坑であり、人がその上で生活していたものではないということです。
土坑413号、土坑415号から人骨は出土していませんが、墓坑である可能性があります。

4 参考

2018.05.19記事「小児土器棺と送り場土坑が集中する例」の思考




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