2018年5月19日土曜日

小児土器棺と送り場土坑が集中する例

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 45

1 詳細検討域1
2018.05.17記事「着目すべき貝・獣骨送り場土坑の抽出」で獣骨数出土が多い動物食関連送り場土坑を抽出し、祭祀性が強い場所として着目できることを検討しましたが、そのうち獣骨出土数最大の土坑がある南貝層について詳細検討します。

詳細検討域1

次に詳細検討域1の主な遺構を時期別に観察します。

2 称名寺式期

称名寺式期に存在した遺構
貝層・破砕貝・漆喰ブロックが出土する土坑3基が最初の称名寺式期に存在していたと観察できます。
413号土坑と415号土坑は称名寺式期末~堀之内1古式期に存在したJ77号竪穴住居祉の漆喰貼床の下から出土しています。
3つの送り場土坑が集中して存在するのですから、この付近は祭祀性の強い空間だったことは間違いありません。

3 称名寺式期末~堀之内1古式期

称名寺式期末~堀之内1古式期に存在した遺構
竪穴住居祉2軒が存在します。
J77号竪穴住居祉は漆喰貼床の下に床下墓坑が存在していて3歳前後幼児の骨が出土しています。また漆喰貼床の下から送り場土坑の413号と415号が出土しています。
J77号竪穴住居祉は南貝層を形成した集団の始祖家族の住居と考えられますが、その住居がすでに送り場土坑が存在する空間の上に建設されたことは住居建設場所の選定自体が祭祀性を帯びていて、始祖にふさわしい場所取りが行われたと考えます。
J77号竪穴住居祉家族(南貝層始祖家族)の子供が死にその遺骸を床下に埋葬したことは、J77号竪穴住居祉付近が子供の埋葬場所にふさわしい環境を形成したと考えられます。

4 堀之内1式期

堀之内1式期に存在した遺構
堀之内1式期には小児土器棺(周産期人骨出土)1、単独埋甕1、送り場土坑4が存在します。
単独埋甕は人骨が確認できなかったのでそのような名称になっていますが遺構の様子から小児土器棺と考えて間違いないと思われます。つまりJ77号竪穴住居の廃絶祭祀が行われた後、その住居床下墓坑から2m程の場所に小児が埋葬されたのです。恐らく南貝層家族集団にとってJ77号竪穴住居付近が子供埋葬ゾーンとして共通認識が形成されたのだと考えます。子供の埋葬は同じ場所にして「死んだ子供同士が仲良くできる」といった観念があったにちがいありません。(関連 子供と動物がともに埋葬されることもあります。2017.12.18記事「犬用廃屋墓」参照)

動物食関連送り場土坑254号は獣骨が277点出土し、それ以外にも土器、ハマグリ製貝刃、鹿骨製玉(装身具)が出土します。
この土坑は土坑墓であると想像します。人骨が出土しないので最後の決め手はありませんが、土坑形状が人骨出土1号土坑墓と似ていることと、装身具が出土することがそのような思考発生に関わっています。貝刃が出土することから子どもではなく成人が埋葬されたと考えます。埋葬形式は集骨であり、別の場所で人骨だけ残るように処理され、骨だけ持ち込まれ、その場所に破砕貝が被せられさらに何回かの祭祀活動で獣骨も置かれたと想像します。

動物食関連送り場土坑392号は獣骨が78点出土するほか、ハマグリ製貝刃が出土します。
この土坑も人骨は出土しませんが成人が埋葬された土坑墓であると想像します。

5 まとめ
詳細検討域1付近に子供が3人、大人が2人埋葬されていると想像しました。動物食関連送り場土坑はさらに存在しますから埋葬人数はもっと増えるかもしれません。これらの埋葬は偶然の所産ではなく南貝層家族集団の空間ゾーニング思考の所産です。
小児土器棺、土坑墓と想定した土坑、床下墓坑付竪穴住居全てが南貝層に覆われていますが、その事象から貝層(貝塚)の本義とは即ち人の送り場(埋葬施設)であると考えます。


0 件のコメント:

コメントを投稿