2018年5月4日金曜日

大型貯蔵土坑の整形仕上げの違い

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 36

●この記事の最後部を修正しました。(2018.05.06)

2018.05.02記事「大型貯蔵土坑の空間分析 その1」で作成した大型貯蔵土坑空間分布図をよくみると整形仕上げの違いが顕著な特徴として観察できますので興味を深めながら検討します。
大型貯蔵土坑整形仕上げの違いを類別すると次のようにA、B、Cと3つに分けて捉えることができます。

大型貯蔵土坑仕上げ類似性

A、B、Cの違いの観察図は次の通りです。

概算容量2㎥以上の土坑

概算容量1㎥以上2㎥未満(タンブラー状)の土坑

概算容量1㎥以上2㎥未満(鍋状)の土坑

整形仕上げAは大型土坑の中でもさらに大型のものが多くかつ仕上げが丁寧で円や曲線・直線の形状を巧みに使って内壁がなめらかな空間を作っています。底には原則ピットがありませんから「エラ」もありません。Aは北貝層と西貝層付近に主に分布していて全て台地面に分布しています。オーバーハングした部分をもつフラスコ状土坑の典型が含まれています。仕上げデザインに成熟性が感じられます。時期は堀之内1式期のものがメインです。

整形仕上げBは底にピットとその上部内壁に「エラ」があるのが特徴です。「エラ」に簀子のような棚をつくり、その上にモノを貯蔵したと考えられます。「エラ」下のピットは内壁から染み出す水の溜であると考えられます。BはAと較べると内壁に凸凹があり仕上げが雑です。Aと同じくオーバーハングした部分をもちフラスコ状と分類できますが仕上げデザインが未熟に感じられます。Bは南貝層付近でかつ斜面に分布しているのが特徴です。時期は堀之内1式期のものがメインです。

整形仕上げCは鍋状土坑ですが底が平でかつ内壁の仕上げが雑です。集落南西部に集中して分布していて、その場所は3つの貝層からは離れているように感じられます。また前期集落の竪穴住居群から離れた土坑集中域に一致する場所でもあります。さらに称名寺式期土坑が含まれています。

以上の観察から土坑整形仕上げ技術はAの方がB、Cより高く感じられます。
Cは集落開始期のものが含まれ土坑建設技術が未熟である時期のものと考えると、集落最盛期(堀之内1式期)には大型貯蔵土坑デザイン(形状・仕上げ)に関してAとBという2流派が存在していたように捉えることができます。
A流派は台地面という良好な土地条件の場所に土坑を建設しているので貯蔵活動では集落内主流です。
一方B流派は斜面という劣悪な場所に土坑を建設していて(だから「エラ」とピットを備えている)、貯蔵活動では集落内で劣位です。

AとBが集落集団とどのように関わるのか強く興味をそそられます。
集落最盛期(堀之内1式期)には貯蔵土坑がそれを利用する家族(集団)の竪穴住居(群)からあまり離れていない場所に作られたと想定すると、次のような仮説候補を持つとことができるかもしれません。

仮説候補
大型貯蔵土坑A流派…集落構成主要家族集団群(集落本流の家族集団群)
大型貯蔵土坑B流派…南貝層周辺家族集団の一つ(集落を構成する家族集団の一つ)

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この記事掲載当初の次の文章は廃棄します。(2018.05.06)
仮説候補
大型貯蔵土坑A流派…漆喰貝層なし竪穴住居家族集団…堅果類や植物の採集をメイン生業とする家族集団
大型貯蔵土坑B流派…漆喰貝層あり竪穴住居家族集団…漁業をメイン生業とする家族集団

この仮説候補がより確からしい仮説になれば、大膳野南貝塚後期集落は2つの異なる生業集団が共存していた社会としてより明確にイメージできるようになります。
さらに2つの異なる生業集団の集落内相互協力補完関係の有無などの検討も興味対象になります。
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大型貯蔵土坑Aのうち7基は二次用途として送り場として利用されていて貝層が出土していますから漆喰貝層あり竪穴住居家族集団と無関係であると考えることができません。
AとBを漆喰貝層あり、なし竪穴住居家族集団と結びつけることは最初から間違っていました。
漆喰貝層あり竪穴住居と漆喰貝層なし竪穴住居の違いの意味が、集団の違いであるのか、単なる祭祀に関わる空間位置の違いであるのか、今ひとつ自分が確信を持てる仮説を作れていません。そうした状況のなかで生れた錯誤でした。

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