2018年9月1日土曜日

参考 村田川河口低地付近 弥生・古墳・奈良平安時代遺跡

村田川河口低地付近縄文集落の消長分析 4

参考として村田川河口低地付近の弥生・古墳・奈良平安時代遺跡分布を時期別にみてみました。

1 弥生・古墳・奈良平安時代遺跡分布

弥生時代住居軒数
縄文時代から引き続きこの地域に人が居住していた様子を知ることができます。

古墳時代前・中期住居軒数
色塗りは最大値と最小値の間を5段階に均等区分してグラデーションで示しています。(以下の地図も同様です。)
対象域(千葉東南部地区…開発地域)の北側に分布が集中します。

古墳時代後期住居軒数
対象域全体に分布は広がりますが、その中心はあくまで北側です。

古墳基数
古墳の分布は対象域全体に広がりますが、その中心は南側です。住居と古墳が対象域を南北で二分して棲み分けしているように観察できます。

奈良・平安時代住居軒数
奈良・平安時代の分布中心も対象域の北側にあるようです。

2 感想
村田川河口低地付近の縄文時代遺跡消長を詳しく学習する活動の一環で旧石器時代、弥生・古墳・奈良平安時代遺跡の分布も参考として調べました。いずれの時代人も対象域を濃密に利用しています。3万年ほど前から途切れることがなくこの土地(台地とそれが細尾根状に浸食された地形)が異なる趣旨で利用されつづけてきていることに一種の感動をおぼえます。
同時に、その感動が生れた原因の大きな部分が、そのような事実が調査されて情報があるという発掘調査蓄積にあることに気が付きます。開発により地形も大きく姿を変え、消滅した遺跡も少なくありませんが、それと引き換えに、面的・悉皆的と表現してもよい発掘調査の蓄積が存在しているので、上記感動をおぼえることができるのです。
縄文時代集落の消長をこれから詳しく検討する意欲が湧いてきます。

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