2018年9月15日土曜日

事例学習 六通貝塚

村田川河口低地付近縄文集落の消長分析 14

村田川河口低地付近縄文集落の消長分析の一環として「千葉県の歴史 資料編」掲載事例の学習を遺跡別にしています。この記事では加曽利E4 式期~晩期前半に及ぶ六通貝塚の学習をします。
六通貝塚は大膳野南貝塚を始め周辺貝塚集落の母村であると推定しているので縄文後期の村田川河口低地付近の集落状況を知る上で決定的に重要な遺跡です。既に詳細検討を一旦始めた(2018.08.12記事「六通貝塚 竪穴住居時期別分布の概観」等参照)のですが、詳細検討に突入する前に周辺遺跡の概要を知る必要があると気が付き、現在事例学習をしている次第です。その一環としてこの記事では「千葉県の歴史 資料編」掲載事例情報に限って学習します。事例学習が終わった後、問題意識を研いで鮮明にして、再度六通貝塚詳細学習をします。

1 六通貝塚の位置

六通貝塚の位置

2 貝塚の様子と検出された遺構
東西140m, 南北125mの大規模な面状貝塚を形成している。貝層の測量図によれば,面積12000㎡にもなる。ただし,直近のトレンチ調査によると,現在残っている貝層の範囲はこれよりかなり小さいようである。北端部の中央は層が薄いか,またはとぎれており,馬蹄形というよりは弧状の貝層が東西に対峙する形に近い。
加曽利EⅣ式期から晩期前半に及ぶ遺構が検出された。約40軒の竪穴住居・多数の土坑・溝があるが,今のところ時期は不明である。土坑のなかには貯蔵穴とみられる小竪穴が40基以上含まれており,遺跡全体では多数の存在が見込まれる。

六通貝塚測量図

3 出土遺物
(財)千菜県文化財センターが実施した貝層部の調査では,狭い面積にもかかわらず,整理箱約640箱の土器, 80箱の動物骨が出土している。土器は加曽利EⅢ式から前浦式まで認められ,主体となるのは加曽利B3式から安行3a式である。このほかには土偶・ 石棒・石剣・土版・玉類などが発見されている。石器では磨石類・石皿など植物質食料の加工具が比較的多いのに対して,石鏃・打製石斧などの直接的な生産用具は少ない。

出土土偶

4 貝類
貝層を構成している貝類はほぼ悔産種のみであり,イボキサゴが8割ほどを占める。次に多いハマグリを合わせると9割以上となり,これにシオフキガイを加えた3種が主に採取されていた。種の構成では時期的な変化はほとんど認められない。村田川水系の貝塚でハマグリのサイズをみると,中期貝塚では殻長3cm前後のきわめて小さな個体が中心であり,木戸作貝塚や本貝塚の後期前葉をみても中期とそれほど変わらない。これに対して,後期中葉頃からはかなり大きな個体が増え,後期後葉から晩期の貝層ではさらに顕著である。殻長5cmほどのハマグリが普通にみられ, 7~10cmほどの大型個体も少なくない。成長線分析によると中期では生後1年から1年半のものが中心であり,小型化は高い乱かくによる若年化によることがわかっている。本遺跡における後期後葉以降の大型化は,ハマグリの資源量に対して漁が減ったことを示す。このことは貝類への依存度が減ったことを表していると考えられる。

5 動物遺存体
後期後葉から晩期前半の貝層部分からシカ・イノシシの大型の骨片が集中的に出土している。このような獣骨の集中は横芝町山武姥山貝塚,松戸市貝の花貝塚,市川市堀之内貝塚の晩期貝層または包含層に認められる。人骨の炭素・窒素同位体比による食性分析の結果によれば,関東の晩期縄文人は陸上動物に強く依存していたことを示しているので,本遺跡の晩期縄文人も同様であったことが予想できる。

6 感想
六通貝塚記述に極めて重要な情報が含まれています。縄文時代中期から後期前葉までハマグリの乱獲が行われていたけれども、後期中葉からハマグリの大きさが大きくなり、後期後葉以降はハマグリが明瞭に大型化する。同時に後期後葉から晩期前半に獣骨の集中出土が増えるという記述です。この付近の縄文社会における貝類への依存が減り獣食の比重が増えたという記述です。
採貝活動が乱獲(自然破壊)で破たんして活路を狩猟に求めたのか、それとも乱獲(自然破壊)とは別の要因で食性が変化したのか、究明する価値のあるテーマです。

7 参考 獣骨集中出土が認められる3遺跡

参考 獣骨集中出土が認められる3遺跡

獣骨集中出土が認められる3遺跡は「千葉県の歴史 資料編」に事例として掲載されていますが、その記述ではいずれも獣骨集中出土には触れられていません。




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